2010年 11月 25日
実りある秋に 絵手紙春秋(5)

その昔、西域からシルクロードをへてやってきた柘榴。
ザクロは柘榴の呉音「ジャク・ル」から来たという説。
甘酸っぱい香りと共に、大きく開けたその口からは、
故郷ザクロス山脈の、西域の唄が聴こえてきそうだ。

かって、スイスに旅した際に、大きな実が丸ごと瓶に入った
リキュールを買い求めたことを思い出す。
小さな瓶の口から入るわけはなく、実が小さいときに枝に吊る
した瓶に差し込み、その中で大きくなるのだそうな。

さてさて私の実りはどうなったのか。
人生二毛作をモットーに60歳から始めた能面つくりは、
実りの一つと言えなくもない・・・
ともかく、長生きはするもんだ。
これからも,知らない世界がまだまだ待っているんだから・・・・
2010年 11月 19日
小さい秋見~つけた カメラは視た(13)
わがマンションの庭で見つけた「小さい秋」と住民の「ヤモリくん」

古くなった桜の木に生えたサルノコシカケ、それに寄り添うように小さい秋が・・・・・

桜の紅葉は色とりどり素敵ですね 散り敷くさまは神のわざ ・・・・・・

小さい秋を探していたら、大きなケヤキの木肌で見つけたヤモリくん・・・・・・
夏には、君をベランダの壁で見かけたよね。ベランダの訪問者スズメくんと
違って、君はこのマンションのレッキとした住人だよね


大きな目をきょろきょろさせて、あっという間に消えて・・・・・・

そろそろ冬眠の準備ですかね

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2010年 11月 13日
水本愛堂先生を悼む kameの独り言(7)
水本愛堂先生を悼む
先般の能面展の際に、来訪された書家のS氏から、水本先生が9月に亡くなられた
ことをお聞きし、愕然として一瞬言葉を失った。
私は全くの初耳だったが、彼とて直接知ったわけではなく、公になさることもなく
葬儀も済まされたらしいとのこと。
高潔な孤高の精神を貫かれた先生のご生涯に、思わず涙したことである。
実は、10月19日のブログで、先生の書の作品を紹介したばかりであった。
私の年賀状の文言を「私の信条にぴったりだから作品にしたい」と仰って書かれた
ものである。
今から思えば、何か虫の知らせが私に、このブログを書かせたのかもしれないが、
それだけではない先生のご遺志がそこに感じられ、私に人の生きる姿勢を改めて
お示し下さったのだと信じる外ない。

私が50歳のとき、書を始めようとして相談した友人の書家S氏が、貴方にぴったりの
先生がおられると言って紹介して下さったのが水本先生で、ご一緒に先生のお宅を
お訪ねしたのが始まりである。
中学2年生の時に敗戦を迎え、価値観が逆転する激動の時代に青春を送った私は、
反骨精神だけは人一倍強く、職場でも権威や権力に媚びる人たちと事あるごとに
対立する刺々しい毎日を送っていた。
そんな私を、温かく包み込むように受け入れて下さったのが先生である。
あれから二十有余年、書と漢詩を通じて、先生は常に私の人生の師表であった。

漢詩の添削をお願いすると、添削と講評を、そしてその漢詩を書のお手本に書いて
送り返して下さるのである。
この漢詩は、10月13日のブログ 「ファド(わが夢の旅物語・リスボン)」 で紹介した
ものである。

このお手本で練習して、書の添削をお願いするときには、次の漢詩の作品を添えなければ
ならないのである。
これがまた大変で、苦吟の挙句にお送りしたものを「完璧」などと、ときには褒めて頂け
るので今まで続けてこられたのだと思う。
しかし、考えてみれば、漢詩と書を一挙両得に出来る、これほど有難い、奇特な師は、
探して見つかるものではない。
また先生には、公私にわたり親しくして頂き、野や山の花がお好きな奥様のために、京都
北山のシャクナゲや伊吹山の山頂のお花畑にご案内したことがあった。愛妻家の先生は、
ことのほか喜んで下さり、その時先生が吟じられた詩吟の声が、楽しかった思い出と共に、
いまも鮮明に脳裏に焼き付いている。
私の後半生を実り豊かなものにしてくれた書と漢詩、それは水本先生との出会いなくしては
考えられないし、先生をご紹介下さった40年来の友人S氏にも感謝しなければならない。
尾は振るな
鎖を断てよ
野を駆けろ
水本愛堂先生の遺訓を胸に、今はただご冥福をお祈りするばかりである。
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2010年 11月 07日
玉羊頭符契 私のガラクタ美術館(4)
玉羊頭符契
がらくた美術館の収蔵品、例により、出所不明である。
玉で作られた符契(割符)だと思う。サイズは65×45×45ミリ。
大きな角を持つ雄羊の頭が、縦に二つに割れるようになっていて、それぞれに「師」の文字が
凹凸に彫られている。合わせると、ぴったり符合するように作られていることから割符として
使われたものではないか。






この玉羊頭の割符を観たときに、ハッと思った。
我々が書の作品に捺す印には、朱文と白文のものがある。
朱文と白文の起源は、もしかしてこのような割符から来ているのではないかと。
真偽のほどは別にしても、興味ある出会いであった。
また、「師」の文字のもつ意味合いも謎で、旅団、師団、軍団という軍の組織単位
を指しているとすれば、想像はさらに膨らむことになりそうだ。
識者のご教示をお願いしたい。
2010年 11月 01日