2011年 10月 20日 ( 1 )

虫供養 虫塚余禄

   虫 供 養  

  「虫供養 虫塚余禄」 新作能構想(草稿)

  諸国行脚の旅の僧が、京へ上る道すがら、摂津の国三嶋郡に差し掛かると、楠の大木の
傍らに、苔むした虫塚があるのに気がつきます。旅の僧は、折りしも傍で落ち葉を掃いている
一人の老翁に、その謂れを尋ねます。

  老翁は、この辺りはその昔、藩の学問所があり、多くの若者が集い、競って学問に励んだ所
だと語り始めます。
  しかし、やがて異国の文明が入り医学や博物学を学ぶようになると学問の為とはいえ、已む
無く殺生をすることも多くなったと語ります。そして、その祟りなのか、病に罹る人も出るようになり、
それを怖れた人たちの手で、後年この虫塚が建てられたのだと語ります。しかしそれも遠い昔の
話で、今はその謂れさえ知る人はいないのだと寂しそうに語り終えます。

  旅の僧が塚に経を手向けると、その老翁は喜びの表情を浮かべ、実は私はその昔、この虫塚
を建てた仲間の一人だと語り、今もこうして現われ、塚を掃き清めているのだと言って、塚の
陰に姿を消します。

  旅の僧が、楠の老木の陰で、一夜を明かしていると、その夢の中に、美貌の若い女が現れ、
問わず語りに旅の僧に話し掛けます。
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                               後シテ「胡蝶の精」の面

  旅の僧の問いかけに、実は私は胡蝶の精で、その昔、謂れもなく殺され、怨みを遺したまま
博物の標本にされた者です。そのため私は、かっての若者たちに讐を為そうと、化身して藩医
になったのです。しかし、医学は命を救うためのもの、やがていつしか、讐なす心は失せたものの、
虚しい心は癒されることもないまま 、永い時は流れたのです。
  その後、その若者たちも年老いて、生きとしいける命の尊さを知るようになったのか、若気
のいたりを悔いて供養のために虫塚を建立してくれたのです。お陰でようやく虫たちの霊も鎮ま
り、心の安寧を得ることできたと静かに語り終えます。

  そして、旅の僧の手向けた読経に救われたと述べた後、塚の前で詩(*)を詠じ、美しい羽衣
を翻して胡蝶の舞を舞いおえると、朝靄に紛れて虫塚の陰に消え失せます。

(*) 秋津島 瑞穂の国は 千五百秋 命溢れて 光り輝く
( あきつしま  みずほのくには   ちいほあき  いのちあふれて   ひかりかがやく )
by kame0401 | 2011-10-20 17:11 | kameの独り言 | Comments(0)

人生二毛作を目指して・・・
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