あとがき
   

敗戦は中学二年の時だった。あの頃、今のような時代がくると誰が予想でき
ただろうか。毎日、空腹を抱えて食べることばかりを考えていたような気がする。
それがいつの頃からか、気が付けば蝶を追って山に登るようになっていた。

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     そんな折、ヒマラヤに個人で挑んだ作家の深田久弥と画家の山川雄一郎、
    山岳写真家の風見武秀、医師の吉原和美の四人の遠征隊のことが大きく報じ
    られた。貧乏だった当時の日本で、貴重な外貨を個人で使うことが、どんなに
    難しいことだったか。それに当時は神戸からカルカッタまでは船で、そこから
    は陸路でと、ネパールに入るのになんと一ヵ月以上もかかったのである。
    それは、いまでは想像もできないくらいの難事業で、それだからこそ夢の快挙
    だったのである。

     帰国後開催されたスケッチ展で、当時山のスケッチに熱中していた私は、
    山川勇一郎の絵を前に暫く動けなかったのを覚えている。また、深田久弥の
    「雲の上の道-わがヒマラヤ紀行-」を貪るように、何度も読み返したもの
    である。そしてこの本の巻末に彼が書いた「ヒマラヤを志す学生諸君に」の
    文章は印象的だった。
 
     曰く「第一に、一流会社や中央官庁に就職してはならない。そんなところに
    勤めたら、第一休暇が取れぬ・・・・。第二は、今からネパール語あるいは
    ウルドウ語の勉強に取り掛かるべきである・・・・。第三に、魂の一番高い
    ところをヒマラヤに捧げる諸君は、佳人を娶ってはならない・・・」と。
  
     若かった私も、いつの日にかヒマラヤの白き神々の座に挑み、そして氷河の
    ほとり、お花畑に寝転んでParnassius(アポロ蝶)が舞うのを眺めることを
    夢見たが、外貨割り当てがない無名の個人にとっておよそむりな話で、所詮
    夢のまた夢であった。

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     時は流れ、憧れのヒマラヤが手に届くところに近づいた時、歳は既に五十に
    近くなっていた。深田久弥の三条件を念頭に、夏休みのある教師になり、山好
    きの佳人を娶っておいたのだから、まともにヒマラヤに挑むのは無理としても、
    八千米の雪の峰々と氷河をこの目で眺めることぐらいは出来そうだと、もっぱら
    辺境へ出掛けることにした。

     還暦を迎えたいま、旅の慰みに描いたスケッチと、八年ほと前から習い始めた
    漢詩で綴った旅の印象を纏めてみようと思い立った。拙いスケッチも私にとって
    は、一枚一枚に旅の思い出が凝縮されていて、観るたびに旅の様々な懐いが
    鮮やかに蘇ってくる。写真では得られない何かがそこにある。また漢詩をひねる
    過程で、旅の感慨が一層大きく膨らむのを覚えたことである。これは望外の
    喜びであった。
     ここに「天山遊艸」一巻を編し、遅咲きの青春の記念とするものである。

       1992年5月

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     この、「あとがき」は十八年まえ、自費出版の漢詩集「天山遊艸」に記した
     文章ですが、いま読み返すと、私の人生の縮図を観る想いがします。

     このたび、開設するブログもその延長線上にあると思っています。
 

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by kame0401 | 2010-04-27 10:10 | kameの独り言 | Comments(0)

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