2016年 03月 05日
カワセミ病患者のこと
私がカワセミの写真を撮りに行く場所の一つに或る池がある。 新興住宅地と古くからの家並みと
農地が残る地域の狭間で取り残されたようなその池は静かな佇まいを残している。 ここにいる
カワセミを365日毎日のように撮影にこられる人達でその池の傍の道には連日三脚を構えたカメラ
の砲列が並ぶのである。 定年退職をした人たちが嵌まる趣味の一つにカメラがあるが、鳥の撮影は
そのなかでも趣味と健康を両立させる最善のものの一つだといえる。
しかしこの池がカワセミ撮影の聖地であるのはそれなりの訳があるのである。一つは当初から
この池の環境を守るために池の周囲の木の枝や草を刈り池のごみの除去など日常的に色々池の
整備に心を砕いておられるUさんや、カワセミのため他の池で捕えた小魚をせっせと運んでこられる
Mさんなどの存在を抜きには考えられないのである。
池に浮かべた水盤に魚を入れると、見ていたかのようにカワセミが現れ、水盤に飛込み魚を咥えて
飛び上がる姿は何度見ても感動する。
これを自然ではないというのは易しいが、自然保護とは何かを考えると答えは簡単ではない。
丹頂鶴やコウノトリの餌付けはどうなのか、絶滅危惧種の保護と同列に考えるのには無理がある
としても、境界線を引くのはさらに難しい問題である。
カワセミはその翡翠色の羽が美しいだけではなくダイビングして魚を獲る姿は見事で、写真撮影
の対象としても群を抜いている。 カワセミ病患者が蔓延するのは頷けるというものである。
病原菌を媒介するのは人間で自慢そうに写真を見せびらかす行為が一番危険だということを知ら
ないから始末が悪いのである。 その意味では私のこのブログも病原菌を撒き散らしているわけで
犯人の一人である。