2014年 10月 21日
鵺塚と大阪港紋章
鵺塚と大阪港紋章
大阪は都島の商店街のほとりに「鵺塚」がある。平家物語に出てくる源三位頼政の鵺退治は京都
であるが、射殺された鵺は笹のうつぼ舟に乗せられて流され、淀川を下って当時淀川デルタの末
端の一つだった都島のこの辺りに流れついたものだろう。祟りを恐れた当時の人は「鵺塚」を作り
霊を慰めたと言う。
今年の能面展は「浪速ゆかりの能を探る」と言うことで、あちこちの謡跡を訪ね歩いた。 能曲「鵺」
ゆかりの「鵺塚」は由緒ありげな楠の大木が茂り、訪れる人もなく静かな佇まいを保っていた。写真を
撮っている時ふと「大阪港の紋章」というパネルがあるのに気が付いた。正面右の黄色いパネルが
それだ。
1980年にフランスのル・アーブル港と姉妹港提携にあたり、この紋章が作成されたと言う。
大阪港の紋章のシンボルサポーターに鵺が選ばれたのは、上記の鵺塚が当時の河内湾・河内湖
のほとりにあり、大阪湾にゆかりのある動物だったからであり、これは面白く良い選択だったのでは
ないだろうか。
この紋章の作成には紋章学に詳しい森護氏(1923~2000)が参画しているとのことで、鵺は頭が
猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇と言う妖怪であるが紋章では胴が獅子に変えられている。また紋章
中央上部には以前の大阪市庁舎の「みおつくしの鐘」で知られる尖塔が描かれているのも懐かしい。
大阪は都島の商店街のほとりに「鵺塚」がある。平家物語に出てくる源三位頼政の鵺退治は京都
であるが、射殺された鵺は笹のうつぼ舟に乗せられて流され、淀川を下って当時淀川デルタの末
端の一つだった都島のこの辺りに流れついたものだろう。祟りを恐れた当時の人は「鵺塚」を作り
霊を慰めたと言う。
今年の能面展は「浪速ゆかりの能を探る」と言うことで、あちこちの謡跡を訪ね歩いた。 能曲「鵺」
ゆかりの「鵺塚」は由緒ありげな楠の大木が茂り、訪れる人もなく静かな佇まいを保っていた。写真を
撮っている時ふと「大阪港の紋章」というパネルがあるのに気が付いた。正面右の黄色いパネルが
それだ。
1980年にフランスのル・アーブル港と姉妹港提携にあたり、この紋章が作成されたと言う。
大阪港の紋章のシンボルサポーターに鵺が選ばれたのは、上記の鵺塚が当時の河内湾・河内湖
のほとりにあり、大阪湾にゆかりのある動物だったからであり、これは面白く良い選択だったのでは
ないだろうか。
この紋章の作成には紋章学に詳しい森護氏(1923~2000)が参画しているとのことで、鵺は頭が
猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇と言う妖怪であるが紋章では胴が獅子に変えられている。また紋章
中央上部には以前の大阪市庁舎の「みおつくしの鐘」で知られる尖塔が描かれているのも懐かしい。
by kame0401
| 2014-10-21 20:02
| 能面雑話
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Comments(2)