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身捨つるほどの祖国はありや

        身捨つるほどの祖国はありや   ー開戦記念日に想うー
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        <第一話>ああ12月8日のいま  -特定秘密保護法案の暗雲・瀕死の平和憲法ー
        昭和16年(1941)12月8日、開戦のラジオ放送は小学四年生の軍国少年を酔わせるのに充分な華々しい
        戦果を伝えていた。それから四年後の昭和20年(1945)8月15日、敗戦の玉音放送は中学二年生の
        軍国少年を打ちのめすのに充分であった。悲惨な戦争の惨禍と、戦争の現実を目の当たりにしながらも、
        その日まで日本が負けるとは思わなかったのは不思議である。祖国日本のために身を捨てるのは当然だと
        思っており、当時日本側にも「東洋平和のため」とか「大東亜共栄圏」とかそれなりの「正義」があった。
        「正義」の対極に在るのは「悪」ではなく「別の正義」であることを知ったのはずっと後である。勝てば官軍で
        アメリカの「正義」はその後も世界を席巻している。イスラムの「正義」を筆頭に「価値観の多様性」を認め合う
        ことこそが世界平和の鍵なのだろうにと私は想う。

        私は「日本は負けて良かった」と正直思っている。しかし折角負けたのに「なぜ負けたのか」、「なぜ負けて
        良かったのか」を明らかにしてこなかったため、敗戦と言うまたとない経験が生かされずに今日まで来て
        しまったことが残念でならない。
        それには、どんな秘密事項であろうと、30年を経れば検証出来ることが保証されない限り、同じ過ちを繰り
        返すことになるだろう。日本が明治以降の歴史を正しく検証出来ていない最大の原因は秘密事項の解明が
        進まないからである。特定秘密保護法案が問題なのはこの点で、「知る権利」これは民主主義の原則である。

        「負けるが勝ち」という見本を世界に示せる機会を日本は持っているのである。戦後68年日本は誰ひとり
        戦争で死んだ人はいないのである。靖国神社に祀る人がいないという平和な時代が続いていることを
        忘れてはいけない。乃木希介や西郷隆盛は祀られていないという靖国神社は基準が曖昧で、私は本来
        不要と思っているが、可否を論ずる以前にこの祀る人がいない状態の有難さを噛みしめねばならない。

        寺山修司の詩の一節「身捨つるほどの祖国はありや」は、戦中戦後の混乱の中で社会主義の夢にも
        裏切られた世代の嘆きとも思えるが、「祖国のため」に身を捨つることのない世界は夢のまた夢なの
        だろうか。

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        <第2話>ああ日の丸・君が代のいま   ー国旗国歌法案の付帯決議「強制しない」はどこへー
        教師をしている私の友人が卒業式での君が代斉唱に不起立とて戒告処分を受け、それを理由に定年後の
        再任用を取り消された。彼は府の人事委員会に不服申立てをし、先日その口頭審理があるというので傍聴に
        出かけた。
        「祖国のため」として多くの若者が志願してまで出征していったとき私達少国民は千切れるまでに日の丸を
        振り彼らを死地に送り出したのだった。君が代またしかり。他の国の国旗も血に塗られた歴史をもつものが
        あるし国旗・国歌に罪がある訳ではないことは言うまでもない。

        問題はそれを権力が強制し従わないものを処分するというところにあるのだ。個人が自分自身の良心に
        従い行動する自由を保障することが出来ない社会は不幸である。私は国家が国民に求める忠誠心に対し、
        国民は良心的拒否権をもつと考える。

        君が代を歌わないからとか、口パクで本当は歌っていないのを監視し報告させるというのを聴いて、
        いつから日本はそんな情けない国に逆戻りしてしまったのかと唖然とし、戦慄をさえ覚えるのである。
        「歴史の批判に耐えることが出来るか」これは権力側にも市民側にも求められる最低の規範だと私はおもう。

        戦時中私が通っていた中学校は殆どの教師が戦争を賛美する軍国主義教育全盛の中で、唯一人授業中に
        「日本は負けますよ・・・」という音楽教師がいたことは忘れられない。軍国少年の私は当時違和感を覚えたが、
        いまにして思うとこれは色んな意味で重要なことを物語っていると思う。当時これを授業中に話すことは
        かなり勇気がいることではなかったのか、それを許す空気がまだこの学校には残っていたのか、いまは
        それを確かめるすべはない。しかし当時は軍事教練のため退役軍人に加えて、現役の将校が各校に
        配属していた時代だったことを思うと感慨深いものがある。

        敗戦で価値観の逆転を経験した私はこの得難い体験を宝にしていた。しかしその後戦後の教育改革の
        中身が問い直された所謂大学紛争の波は高校にも及び、当時教師だった私はその姿勢を問われる側に
        なった。彼はそのとき問い質す側にいた生徒の一人である。いまその彼は教師としての姿勢を問われる
        側にいる。 自分の良心に従い行動した彼を見て私は心から敬意を払うと共に心強く思ったことである。 
        また当日支援傍聴に来た彼の仲間が同じように「君が代」問題で処分を受け、共に闘っていることを知り、
        大いに勇気付けられると同時に、歴史の歯車を逆に回そうとする勢力の台頭をいま何とか食い止めねば
        と思いを新たにしたことである。

        国旗国歌法案の「強制しない」という付帯決議は思想信条の自由を保障した憲法に依拠するものである。
        しかるに職務命令で君が代・日の丸を強制するという教育委員会は明らかに憲法違反であり、特定秘密
        保護法案の成立と共に平和憲法は今や瀕死の状態である。
        
by kame0401 | 2013-12-08 13:26 | kameの独り言 | Comments(0)

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