遠き日の夢

          遠き日の夢     遥けくも来るものかな八十路まで

        1932.4.1生れの私は昨日で満81歳になった。虚弱児だった私がここまで生きてこられたのは、
        天の定めなのだろうが、振り返ってみると感慨深いものがある・・・・・・・

d0156718_1257201.jpg

      この色あせた一枚の写真は、私が写っている写真のなかで一番古いものである。お袋の膝の上でどんぐり眼の
      可愛い?のが私。 まだ妹や弟は生れていないが、撮影の日付がないので何歳かは不明。
      親父も長兄や姉の生れた時はガラスの乾板カメラを買ってきていろいろ写していたが、私が生れた頃はもう
      飽きたのか一枚も遺していない。私は男兄弟四人の三男であるが、長兄40代、弟50代、次兄60代で亡くなって、
      生き残っているのは私一人である。 

      小学校入学の前年に腸炎で死に損なった私は、お腹がいつもごろごろいう万年下痢気味の虚弱な、引っ込み
      思案の、そのくせ強情な子供だった。脚気だった母が上の子に母乳を飲ませ、それが原因で脚気衝心で死なせた
      ことから、私は母乳を飲ませてもらえず米粉の重湯で育てられ免疫力が弱かったのかもしれない。

   
      そんなへなちょこ軍国少年の私が敗戦を迎えたのは、中学2年生の時だった。敗戦後の食糧難は酷いもので
      食糧は大豆油の絞り滓を混ぜた米が配給されたり、遅配・欠配・あげくに配給棚上げまであった。闇米を食べないで
      飢え死にした判事が新聞で大きく報じられた時代である。、サツマイモや南京の葉や茎、野草などでとにかく腹を
      ごまかしていた。当時の落下式のぼっとん便所で自分のウンコが緑色をしているのを見て驚いた。その瞬間に、
      小学校で飼っていた蚕の糞が緑色だったのを思い出し唖然としたのを覚えている。

      しかしである、この悲惨な食糧不足で緑の糞をだすようになって、気が付くと私の腸はいつの間にか丈夫になり、
      少々変な物を食べても腹をこわす事もなくなっていた。思えば、あの虚弱児のままでは到底81歳の今日までは
      生き延びることは不可能だったであろう。もし戦争が続いていれば、徴兵で狩りだされ過酷な戦場で野たれ死の
      運命だったろう。

      私にとって敗戦と言う悲惨な体験が結果的に私の肉体を、いや精神をも極めて逞しくしてくれたと思っている。
      「人間万事塞翁が馬」と言うのがあるが、まさにこれである。 
      この写真に写る私はまだ将来を夢見るには幼すぎたであろうが、このあと軍国少年になった私だが虚弱な体では、
      海軍兵学校は叶わぬ夢だった。私にとって確かな記憶に残る「遠き日の夢」は敗戦後の育ち盛りに腹ペコで毎日
      「腹いっぱい食べる」ことだけを夢見ていたことである。 いる想えばなんと懐かしくも苦い夢ではある。

      当時、今日のような飽食の時代がくるとは夢にすら思わなかったが、「腹いっぱい食べる」ことができるようになって
      みると今度はダイエットに苦労することになり、これまた「人間万事塞翁が馬」である。 「禍福は糾える縄の如し」
      という諺もある、良くも悪くも人生長生きすれば色々あるということだ。     

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Commented by やっちゃん at 2013-04-05 19:20 x
先生ますますお元気でこれからも沢山の事教えてください!お誕生日おめでとうございます(*^^*)
Commented by kame0401 at 2013-04-05 20:29
有難うございます、遊び半分のブログの愛読者様 但し内容については決して信用してはなりませんぞ、面白半分なのですから(笑)
by kame0401 | 2013-04-01 11:50 | kameの独り言 | Comments(2)

人生二毛作を目指して・・・
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30