2013年 01月 16日
大地震両川口津浪記
大地震両川口津浪記 もう一つの石文
擁護璽に続き次の日には、大阪市の木津川に架かる大正橋の東詰に遺るもう一つの石碑を尋ねた。
ここは安政の大地震で安治川と木津川の両川口の津波の記録を記している。
ここでは宝永地震津波の言い伝えを生かせず被害を大きくしたことを記し、将来もまた同じような地震
があれば必ず津波が来るので決して舟で避難することがないよう、後世のため記録をのこし置くので、
「願わくば心あらん人 年々文字よみ安きよう墨を入れたまふべし」 と結んでいる。
現在この地では、建碑された方々の精神を受け継いだ記念碑保存運営委員会の方々の手により、
地蔵盆に合わせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっているという。
この碑が建ったころ此処には橋はなく、大正時代に鉄製アーチの「大正橋」が架けられ、現在の橋と
生まれ変わるごとに石碑も移設されてきたという。
堺の「擁護璽」と共にこの二つの貴重な石碑を遺した先人たちの声なき声を、我々は今こそ心して聴く
ことが求められているのではないだろうか。
擁護璽に続き次の日には、大阪市の木津川に架かる大正橋の東詰に遺るもう一つの石碑を尋ねた。
ここは安政の大地震で安治川と木津川の両川口の津波の記録を記している。
ここでは宝永地震津波の言い伝えを生かせず被害を大きくしたことを記し、将来もまた同じような地震
があれば必ず津波が来るので決して舟で避難することがないよう、後世のため記録をのこし置くので、
「願わくば心あらん人 年々文字よみ安きよう墨を入れたまふべし」 と結んでいる。
現在この地では、建碑された方々の精神を受け継いだ記念碑保存運営委員会の方々の手により、
地蔵盆に合わせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっているという。
この碑が建ったころ此処には橋はなく、大正時代に鉄製アーチの「大正橋」が架けられ、現在の橋と
生まれ変わるごとに石碑も移設されてきたという。
堺の「擁護璽」と共にこの二つの貴重な石碑を遺した先人たちの声なき声を、我々は今こそ心して聴く
ことが求められているのではないだろうか。
by kame0401
| 2013-01-16 11:06
| kameの独り言
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