2013年 04月 25日
kameの舌跡
引きf出しの奥から出てきた古いマッチ箱は昔懐かしい喫茶店「アメリカン」のもの
足跡ならぬ「舌跡」とはいかなるものか。足跡がその人の足で訪ねた先々の記録なら、
その人の舌で訪ねた記録である。あれは美味しかった、あそこで食たあの味は忘れら
れないなどなど人生の旅には食べ物にまつわる様々な思い出が尽きぬものである。
これを「舌跡」と呼んで掘り起してみようという「kameの舌跡きのう今日」である。
喫茶店は世の移ろいの中で様変わりしたものの一つだろう。スターバックスなどセルフ
サービスの喫茶店は馴染めず、今でもほとんど利用しない。 漫画喫茶、インターネット
喫茶なども含めて私の中では喫茶店の範疇に入らないからである。
むかし毎日のように通っていた私の馴染みだった喫茶店は、大阪梅田の「ジャバ」、
心斎橋の「BC」、難波の「カーネス」どれもかなり以前に消えてまった。
いずれも独身時代に同僚の今は亡きI君との思い出の場所でもあり、結婚してからは
家内と頻繁に入り浸っていたところである。梅田のジャバはおおきなソファーがあり
ゆったりとした明るい雰囲気の店で、I君と何話しすることもなく黙って永い時間を過ごし
ていた。カーネスは南で飲んだ後に、オーナーの老夫婦のいれる美味しいコーヒーを
目当てに寄って帰るのが常だった。心斎橋のBCだけは、大学時代から通っていた店
で、男性の帽子などを売る店の2階に有り、通りからいきなり狭い急な階段を上る所も
気に入っていた。喫茶店らしい雰囲気に満ちて冬になると石炭ストーブに火が入った。
当時は煙草の煙がもうもうとしていたように思う。オーナーの老夫人も時々顔をみせていた。
家内を初めてこのBCに誘った時、彼女は高校時代からこの店によく来ていたというから
驚いた。当時彼女の家は心斎橋で紳士服のテーラーだったので友人とよく利用していた
というから不思議な縁である。当時店内を見渡せば可愛い子がいたはずだと家内はいう
のだが、私にはそんな記憶が全くないのは不思議である。
独身のころ私の部屋の鴨井の上には、これらの喫茶店のマッチがずらりと並んでいて
訪ねてきた人を驚かしていた。当時の喫茶店といえばマッチがつきもので、名の知れた
喫茶店は画家の洒落たデザインのものを定期的に替え、私の収集癖をくすぐった。
残念ながら今それらのマッチ箱は上に挙げた「American」以外に残っているものはない。
いま思えば惜しいことをしたものだ。
山のアルバムに貼ってあった一枚、マッチは広告媒体だったのだ。
そういえば、喫茶店からマッチ箱が消えたのはいつ頃だったのだろう。禁煙の風潮が
後押しして、いつの間にかマッチ箱は消えていた。広告媒体としてのマッチ箱もその命
を終えティッシュペーパーが広告媒体として現れたのだ。
煙草は最近すっかり悪者にされてしまい可哀そうな気がする。喫茶店でコーヒーの傍ら
ゆっくりと揺らぎながら立ち上る紫煙には独特の情緒があった。 モノクロ映画の銀幕
で名優の燻らす煙草の持ち方やマッチを擦る仕草に憧れて、未成年の学生だった私が
煙草を吸ってみようとしたのは自然のなりゆきだった。当時は煙草も配給で、煙草の葉を
手で巻く簡単な道具が考案され、英語の辞書のインデアン紙という薄い洋紙が巻き紙とし
て最適とされていたことを思い出す。成人して煙草も自由に手に入るようになると天邪鬼
な私は煙草を吸うのをやめていた。
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