2010年 05月 17日
田淵行男と山と蝶と kameの独り言(2)
田淵行男と山と蝶と
還暦の時に出版した漢詩集「天山遊艸」のあとがきに、私は蝶を追って自然に山に
登るようになっていたと書いた。
そんな日々を送っていたある年、もう40年も昔のことだと思うが、家内や友人を伴い
5月の上高地入りをしたことがある。島々谷を遡行し岩魚留めを経、徳本(とくごう)峠を
越えて上高地に入るルートだった。
10年ぶりに徳本峠(2100m)に立った私の目に、真っ先に飛び込んできたのは
眼前に展開する雪の穂高連峰ではなく、峠に三脚を据えカメラを構えている男の姿
だった。
すぐに、それは田淵行男氏だと直感した。 彼とはそれまで面識があったわけで
はないが、私の画いていたイメージ通りの人で、 「田淵さんですね」 と声をかけた。
そして暫く話をするなかで、自然に蝶の話題になった時、彼は 「いま、上高地では
クモマツマキチョウが盛んに飛んでいますよ」 と話してくれた。
思いがけない田淵氏との出会いに興奮気味だった私は、クモマツマキチョウにも
逢えるかも知れないと期待に胸を膨らませ急いで峠を下った。
クモマツマキチョウ
田淵行男氏は山岳写真家としてだけでなく、蝶の博物学者としても有名で、その生態
写真は途方もなく素晴らしく、私にとっては神様のような存在だった。
私のように、蝶を追って山に入った者にとっては、田淵氏のような蝶の写真を撮ることは
究極の夢であった。
私が蝶の採集をやめて、写真に撮るようになった動機のなかに「田淵氏のような写真を・・・」
という昔からの夢が大きく働いているのは間違いない。
今日のように、良いカメラもフイルムもない当時にあって、あれだけの写真を撮ることが
出来たのは彼の情熱そのものによるとしか考えようがない。
彼の著書「日本アルプスの蝶」の巻頭に、彼が記した「祖国日本の山に」捧げるとした
文章がまた実に素晴らしい。
九種までも 美しい蝶をはぐくみ
私に自然への指向を慫慂し
消えることのない希望の灯をともしつづけた
恩寵深い 祖国日本の山に
限りない回想と感謝を込めて捧げる
私が山を想う時、蝶を想うとき田淵氏の存在抜きには考えられない。
同じことは、山の絵を描くようになったのは、井上靖の小説「氷壁」の挿絵を描いた生沢朗、
旅のスケッチを描くようになったのは、シルクロードを画いた平山郁夫の影響が大きい。
夢を追っていた青春時代にこれらの人々は、私にとって憧れであり、目標でもあり、
そして、その著書はまさにバイブルのような存在だった。
その年の上高地は、田淵氏の言葉通りクモマツマキチョウが美しい翅を翻して盛んに
飛んでいた。そのさまは、田淵氏が「高山の妖精」と名付けたのも頷ける美しさだった。
クモマツマキチョウを想う時、あの徳本峠のあの日の田淵氏との出会いを、
田淵氏を想うと、あの日の上高地の美しいクモマツマキチョウを思い出す。
それは、秘かに心のなかに持ち続けている私の大切な宝物である。
<註>
田淵行男 (1905~1989)
田淵行男記念館 (1990) 長野県安曇野市豊科南穂高
彼が日本アルプスの山と蝶を愛し、移り住んだその地に7300点に及ぶ
写真や蝶の細密画が展示されている
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はじめまして。田淵行雄さんのことを検索して辿り着きました。
徳本峠でご本人とお会い出来たということ、素晴らしい出会いですね。
私も山登りが好きで、あまり時間がないので行かれないのですが、北アルプスにひとりで登る事があります(安全な山ばかりですが)。徳本峠にも行ってみたいと思っておりました。いつかチャレンジするときはkame様と田淵さんの出会いを想いながら歩く事になると思います。
また時々ブログにお邪魔いたします。