歳も暮れ人も暮れ

           歳も暮れ人も暮れ

        わがガラクタ美術館収蔵の中から今回は私の大好きな芹沢銈介の小品を紹介しよう。
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        これを購めたのはかなり昔のことで、そのころ阪急百貨店に梅田書房というコーナーがあり古書
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        買い求めたものである。
        直筆の絵で「柏と猫」という題名とサインのあるもので、玄関に掛けて楽しんでいる逸品である。

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        版画に彩色を加えたもので独特の雰囲気を醸している。ほかにも何点か小品を買い求めたはずで
        探し出してまたの機会に紹介しよう。
        「光陰矢の如し」とはいうが本当で、矢よりも早く通り過ぎて行く時にただ呆然とするばかりである。
        歳に暮れがあるのなら人の命にも暮れがある。 人はただその暮れの迫りつつあるを知りながら
        明日あるを疑わず床に就くのである、嗚呼。
        この一年くだらないブログにお付き合い下さった物好きの方々、願わくは来年もこの老いぼれの戯言
        を暇なときに覗いてくだされば幸いこの上なしというもの。どうか良い歳をお迎えあれ。

by kame0401 | 2014-12-30 07:49 | kameの独り言 | Comments(0)

レンブラント光線

        レンブラント光線

        雲間から差し込む光芒を人々は昔から薄明光線とか天使の階段と呼びその不思議さに驚きを
        隠せなかったようである。
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        画家のレンブラントが絵の中にこの光芒を描き、独特の宗教的な神々しさを表現しようとしたこと
        からレンブラント光線という呼び名があるのだそうで、この名が私は一番気に入っている。

by kame0401 | 2014-12-26 21:05 | 旅のつれづれに | Comments(0)

喫茶店の片隅で

          
喫茶店の片隅で


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喫茶店の片隅でぼんやり一人佇むとき、私の意識は朦朧としている。 私の網膜に映っているのはこの
写真のような半分ボケた状態なのだろうと思う。
その朦朧たるひと時を求める私には好きな喫茶店が何軒かある。そこはセルフサービスのカフェコーナー
にはない何かがあり長い時間居座る人も多い。 紫煙が揺らいで、それがまた一種の雰囲気を醸し出し、
モノクロの時代の映画の一コマを見ているような錯覚さえ覚えるのである。

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by kame0401 | 2014-12-22 16:50 | 街角寸描 | Comments(0)

イムレイ群像ー2

        イムレイ群像 (2)


        大正9年(1920)東京の松坂屋で開かれた「萬山緑舎主催:匈牙利(ハンガリー)画家フランソア
        ・イムレイ氏個人展覧会」は40点の絵が出展されたという。当時の新聞「東京日日新聞」とか雑誌
        「中央美術」にその記事が出ている。その中で紹介された何点かの絵は題名が出ている。
        そこには「北欧の冬」「高貴」「怪獣と処女」「許されざる」「歓楽」「シベリアの一夜Ⅰ,Ⅱ」 「シベリアの夏」
        「アチェンスク」などの名が出ている。
        しかし我が家のイムレイの絵の題名らしきものはないようで、画題は今もまったく不明である。
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by kame0401 | 2014-12-16 14:41 | 私のガラクタ美術館 | Comments(0)

イムレイの謎解き 画題をさぐる 群像ー1

         イムレイの謎解き  画題をさぐる 群像 (1)



         2年ほど前にこのイムレイの絵のことを、このブログで取り上げたことがある。そのときにこの絵を
         私蔵(死蔵)するより、しかるべき美術館に寄贈を考えていると書いた。 寄贈先を紹介してもらうべく
         頼んでいた人からの紹介で、先日H県立美術館の学芸員の方が4人で観にこられた。そのときの
         お話や新しく頂いた資料からイムレイの謎解きも一歩前進したように思われた。イムレイの嫁ぎ先
         探しがようやく動き出した今、もう一度このイムレイの絵のことを取り上げてみることにした。
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         このイムレイの絵は画題が不明である。持ち主だった義父はロシア未来派の絵だと自慢していたが、
         先の学芸員の話では未来派の画家ブリュリュークとはウラジオストックで接点があるが、彼を
         未来派といえるかは疑問だとの意見をお持ちの方もおられた。確かに展覧会の名前にも未来派
         の名を冠していない。この絵にはたくさんの顔が描かれているが、これはこの絵の画題を探る
         キーポイントになるに違いない。一体何人の顔がと数えてみると少なくとも22人描かれていることが
         判った。4回に分けて紹介しながら画題の謎を追いかけてみよう。
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         イムレイはハンガリー人で第一次世界大戦でロシアと戦い敗れ捕虜となりシベリアに送られて、
         そこで5年の間幽閉されて後、解放されウラジオストックから敦賀・東京を経てアメリカへ向かった。
         東京に滞在した大正9年(1920)のわずかな間にシベリア時代に描いた絵の展覧会をしている。
         しかし新しい資料によると、大正11(1922)年頃まで日本に滞在していた可能性が高く、そう
         なると義父がこの絵と出会ったのは先の展覧会だけとは限らないし、この絵が展覧会後に描かれた
         可能性も否定できないことになる。
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by kame0401 | 2014-12-10 14:30 | 私のガラクタ美術館 | Comments(0)

12月8日を不戦の日に/抗命権と抗命義務

         12月8日を不戦の日に / 抗命権と抗命義務

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        以下は一年前の12月8日に書いたブログの文章である。状況は何も変わっていない。そこで一言一句その
        まま再掲することで自分に対する戒めとしたい。

        -特定秘密保護法案の暗雲・瀕死の平和憲法ー  (2013.12.8のブログより)
        昭和16年(1941)12月8日、開戦のラジオ放送は小学四年生の軍国少年を酔わせるのに充分な華々しい
        戦果を伝えていた。それから四年後の昭和20年(1945)8月15日、敗戦の玉音放送は中学二年生の
        軍国少年を打ちのめすのに充分であった。悲惨な戦争の惨禍と、戦争の現実を目の当たりにしながらも、
        その日まで日本が負けるとは思わなかったのは不思議である。祖国日本のために身を捨てるのは当然だと
        思っており、当時日本側にも「東洋平和のため」とか「大東亜共栄圏」とかそれなりの「正義」があった。
        「正義」の対極に在るのは「悪」ではなく「別の正義」であることを知ったのはずっと後である。勝てば官軍で
        アメリカの「正義」はその後も世界を席巻している。イスラムの「正義」を筆頭に「価値観の多様性」を認め合う
        ことこそが世界平和の鍵なのだろうにと私は想う。

        私は「日本は負けて良かった」と正直思っている。しかし折角負けたのに「なぜ負けたのか」、「なぜ負けて
        良かったのか」を明らかにしてこなかったため、敗戦と言うまたとない経験が生かされずに今日まで来て
        しまったことが残念でならない。
        それには、どんな秘密事項であろうと、30年を経れば検証出来ることが保証されない限り、同じ過ちを繰り
        返すことになるだろう。日本が明治以降の歴史を正しく検証出来ていない最大の原因は秘密事項の解明が
        進まないからである。特定秘密保護法案が問題なのはこの点で、「知る権利」これは民主主義の原則である。

        「負けるが勝ち」という見本を世界に示せる機会を日本は持っているのである。戦後68年日本は誰ひとり
        戦争で死んだ人はいないのである。靖国神社に祀る人がいないという平和な時代が続いていることを
        忘れてはいけない。乃木希介や西郷隆盛は祀られていないという靖国神社は基準が曖昧で、私は本来
        不要と思っているが、可否を論ずる以前にこの祀る人がいない状態の有難さを噛みしめねばならない。

        寺山修司の詩の一節「身捨つるほどの祖国はありや」は、戦中戦後の混乱の中で社会主義の夢にも
        裏切られた世代の嘆きとも思えるが、「祖国のため」に身を捨つることのない世界は夢のまた夢なの
        だろうか。

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        <第2話>ああ日の丸・君が代のいま   ー国旗国歌法案の付帯決議「強制しない」はどこへー
        教師をしている私の友人が卒業式での君が代斉唱に不起立とて戒告処分を受け、それを理由に定年後の
        再任用を取り消された。彼は府の人事委員会に不服申立てをし、先日その口頭審理があるというので傍聴に
        出かけた。
        「祖国のため」として多くの若者が志願してまで出征していったとき私達少国民は千切れるまでに日の丸を
        振り彼らを死地に送り出したのだった。君が代またしかり。他の国の国旗も血に塗られた歴史をもつものが
        あるし国旗・国歌に罪がある訳ではないことは言うまでもない。

        問題はそれを権力が強制し従わないものを処分するというところにあるのだ。個人が自分自身の良心に
        従い行動する自由を保障することが出来ない社会は不幸である。私は国家が国民に求める忠誠心に対し、
        国民は良心的拒否権をもつと考える。

        君が代を歌わないからとか、口パクで本当は歌っていないのを監視し報告させるというのを聴いて、
        いつから日本はそんな情けない国に逆戻りしてしまったのかと唖然とし、戦慄をさえ覚えるのである。
        「歴史の批判に耐えることが出来るか」これは権力側にも市民側にも求められる最低の規範だと私はおもう。

        戦時中私が通っていた中学校は殆どの教師が戦争を賛美する軍国主義教育全盛の中で、唯一人授業中に
        「日本は負けますよ・・・」という音楽教師がいたことは忘れられない。軍国少年の私は当時違和感を覚えたが、
        いまにして思うとこれは色んな意味で重要なことを物語っていると思う。当時これを授業中に話すことは
        かなり勇気がいることではなかったのか、それを許す空気がまだこの学校には残っていたのか、いまは
        それを確かめるすべはない。しかし当時は軍事教練のため退役軍人に加えて、現役の将校が各校に
        配属していた時代だったことを思うと感慨深いものがある。

        敗戦で価値観の逆転を経験した私はこの得難い体験を宝にしていた。しかしその後戦後の教育改革の
        中身が問い直された所謂大学紛争の波は高校にも及び、当時教師だった私はその姿勢を問われる側に
        なった。彼はそのとき問い質す側にいた生徒の一人である。いまその彼は教師としての姿勢を問われる
        側にいる。 自分の良心に従い行動した彼を見て私は心から敬意を払うと共に心強く思ったことである。 
        また当日支援傍聴に来た彼の仲間が同じように「君が代」問題で処分を受け、共に闘っていることを知り、
        大いに勇気付けられると同時に、歴史の歯車を逆に回そうとする勢力の台頭をいま何とか食い止めねば
        と思いを新たにしたことである。

        国旗国歌法案の「強制しない」という付帯決議は思想信条の自由を保障した憲法に依拠するものである。
        しかるに職務命令で君が代・日の丸を強制するという教育委員会は明らかに憲法違反であり、特定秘密
        保護法案の成立と共に平和憲法は今や瀕死の状態である。

        ドイツはナチス時代の反省から法律で「抗命権」と「抗命義務」を明記しているという。憲法や基本
        的人権に反する命令には「抗命する権利」だけでなく、 「抗命する義務」があるというのである。
        同じように戦争に負けたのにこの違いは何だろう。敗戦から何も学ばなかった日本人はまた過ちを
        繰り返しているのである。 
     

by kame0401 | 2014-12-08 18:53 | kameの独り言 | Comments(0)

オオム小町変容



         オオム小町変容   小町の亡霊が怪しき光に包まれて現れる・・・・

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by kame0401 | 2014-12-06 21:47 | 舞台寸描 | Comments(0)

鸚鵡小町

        鸚鵡小町   京都観世会館 井上裕久師   


        能楽の世界では「老女もの」と呼ばれる今回の鸚鵡小町のほか卒塔婆小町・姨捨・桧垣・関寺小町
        は秘曲とされ、その中でも「姨捨・桧垣・関寺小町」は三老女として最秘曲とされている。それは能
        のテーマのうち「女の情念」と「老い」はそれを演ずるのが難しく、「老女もの」は老いと女の二つが
        重なり演ずるのがもっとも難しいテーマだとされているのである。
        今回の鸚鵡小町は小野小町が主人公で、小町が百歳を迎えてもなおその気位高く驕慢さを示し、
        自らの老いを見せまいとする姿を描いている。
        昔から老人を演ずるにはよぼよぼと歩いては駄目だとされている。それは老人は人から老人だと
        見られたくないので自分ではよぼよぼしないように歩いている積もりだという。しかし傍目にはどう
        観てもよぼよぼとしているのである。
        だからそのよぼよぼと歩いていない積もりだが所詮はよぼよぼだという老人の姿を演じなくては
        「老い」を演じたことにはならないのだという。
        この曲でも小町は帝の使いに対し、示された歌に対し鸚鵡返しに一字違いの歌で返し、知力の
        衰えていない自分を見せ、杖を突きながらも求めに応じて舞を舞うのである。
        シテの井上師の舞台はその小町を見事に演じられ、自らの老いを感じながら見入ったことである。

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by kame0401 | 2014-12-04 17:25 | 舞台寸描 | Comments(0)