一枚の絵物語

        この絵なんの絵 気になるえ


        こりゃなんの絵だ?  ピカソか? まさかね、いつものガラクタ美術館の蔵品だろうか
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4枚目の最後のこの絵が私の作品で、独身の頃、同僚の美術の先生に誘われて生れて初めてヌードのモデルを
描いた懐かしの一枚。
上の3枚はパソコンで少し加工したもので、こちらもそれなりに面白いが、裸の女体にドキドキしながら描いた素描の
一枚は私にとっては忘れられない青春の一駒で、私の眼には煌めく原色の青いデッサンなのである。

by kame0401 | 2014-08-27 18:28 | kameの独り言 | Comments(0)

一枚きりの棟方板画

         一枚きりの棟方板画


        棟方志功は、先の大戦の戦禍を避けて昭和20年に富山県の福光町に疎開した。その当時41歳の
        彼はそれから6年間福光で暮らし旺盛な制作活動を続けた。
        家内の親父の故郷でもある福光は、大阪生まれの私にとって第二の故郷のような気がして 義父に
        案内されて彼が号にしていた故郷の山「桑山」に登り、そこから砺波平野に点在する農家の見事な
        防風防雪林「垣饒(かきにょう)」を望見し、背後の雪を頂く立山連峰の雄大さに見とれたものである。
        また棟方ゆかりの光徳寺や記念館を訪ねたこともあり、元々好きだった棟方志功の板画と人柄を
        いつしか身近に感じるようになっていた。 そんなこともありこの板画を古書店で見つけた時は、
        当時でも安くなかったこの小品に大枚を叩くのを厭わなかったのを覚えている。

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        「棟方板画 愛染品」(1946) として限定103部刊行したものの中にあり、板画16柵の一つ 
        「藝業尊の柵」 とか 「藝業専一の柵」の名前が付いている小さなサイズ(11×14センチ)の
        棟方板画である。


        彼の板画にはこの作品のように裏から彩色を施した「裏彩色」と呼ばれているものがあるが、
        彼によれば、板画の墨と同じく紙の裏から表面に絵の具が滲みこんで自然に筆を通じて板画に
        色が現れるのだと言う。意識して技巧的に彩色していない処に彼独特の味があるのかもしれない。 

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        1948年に刊行された本であるが、この板画はこの本には載っていない。

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        この板画を購入したとき、彼の署名が欲しくて古書店を通じて実物を東京に送りシールを書いてもらった。
        独特の味のある彼の字は大好きで、棟方が故人になった今これも私の宝物である。

        「藝業尊」とは私のように絵を描いたり能面を打ったり、家内のように謡や仕舞を舞うものにとっては
        守り神みたいなものではないか、そう思って平素「藝業上達」をお願いしているのだが・・・・・・・・・

by kame0401 | 2014-08-21 14:16 | 私のガラクタ美術館 | Comments(0)

沖縄を返せ・沖縄に返せ

          沖縄を返せ・沖縄に返せ

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         紅い瓦を白い漆喰で固めた与那国島の民家 、白いサンゴ礁の砂とアダンの木の緑が印象的だ  1961年8月


         先頃テレビを観ていて、感じ入ったことの一つに、沖縄の人が口にした「沖縄を返せ・沖縄に返せ
         という言葉だった。沖縄の返還を求めて私達も歌ったあの「沖縄を返せ」の歌を、いま沖縄の人たちは
         こう歌っているのだと言う。
         沖縄は日本に返還されたが、沖縄には返還されていない、戦場になった沖縄、膨大な基地を背負わされた
         沖縄の人たちが、今度は日本政府に、いや日本人みんなに「私達の沖縄を沖縄に返せ」と訴えているのだ。
        

         返還以前から幾度も訪れた沖縄、私の好きな翠のサンゴ礁の美しい海と優しい沖縄の人々を想う時、
         8月15日にあたり私に問いかけられた課題の重さを痛感している。

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         1961年といえば沖縄返還が1972年であるから、随分昔のことである。当時沖縄へはパスポート
         に似た特別許可証が必要で、神戸から船で那覇へ、そこから離島航路の船で石垣島へ着いた。
         石垣島を拠点にして八重山の離島めぐりは、改修以前の小さな石垣港でオンボロ舟の船長に行き
         先と出港日を聴いて回り行きあたりばったりの旅だった。与那国島行きの船はなかなか見つからず、
         ようやく見つけた時も安旅館のおばさんから行けても戻れるかどうか保証はないよと言われるような
         状況だった。定員オーバーで出港前の臨検を荷物のシートに隠れるよう指示されるような有様で、
         後に飛行場も出来て離島の値打?は下がったけれども当時の最離島与那国に上陸したのである。





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             芭蕉布の着物で舞う島のおばさん

         泊っていた宿には、村の駐在さんが下宿をしており、他に時計の行商のおじさんが逗留している
         だけで、夜には椰子蟹を獲りに行こうとて松明を造り、その二人に案内されて海岸のアダン林に
         出かけると言うような毎日だった。そのうち夏祭りが始まると招待され泡盛をしこたま飲まされる
         と言う訳である。この時酔眼で見た島民の舞う素朴な沖縄舞踊と蛇味線の旋律と音色は、翠の
         サンゴ礁の海の色と共に、脳裏に焼き付き終生忘れられない思い出となったのである。

by kame0401 | 2014-08-15 11:35 | kameの独り言 | Comments(0)

ベランダの女神誕生




       ベランダの女神誕生



         マンション住まいの我が家のベランダには鉢植えの小さな山椒の木がある。4階にあるベランダ
         の山椒の葉には知らぬ間にアゲハ蝶の卵が産み付けられている。どうして見付けるのだろうか
         不思議としか言いようがない。適当に食べてくれるとまた柔らかい新芽が出てくるので、我が家
         では丸坊主にされない限りそのままにしている。どこかで蛹になりそのうち羽化していくのだろう。
         今年はそのうちの一匹を部屋で飼い羽化を見届けることにした。その女神がこれである。

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         羽化した女神が部屋の中で最初に選んでとまったところがここ。

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         この子は男の子のようであるが、きっと彼女を見付け、その子供や孫がまた我が家のベランダを
         訪れてくれるだろう。その日の近いことを希って、ベランダのバラの枝にそっと移してやると、暫く
         して姿が見えなくなった。

by kame0401 | 2014-08-09 20:16 | kameの独り言 | Comments(0)

スケッチブックの一頁「水晶岳・あの日あの時」





   

   「水晶岳・あの日あの時」
    スケッチブックの一頁



       スケッチブックの束を整理していたら、42年前に家内と二人で訪ねた水晶岳のあの日あの時と出会った。
       鮮やかな記憶が山の空気感まで蘇えり、スケッチブックの裏に記されていた当時の筆跡はまさにその時
       の証言とも思えた。

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         水晶岳    1972.8.5 記

        水晶岳の山頂は 流れるガスの中で  見え隠れしながら 

        夕陽を受けて  茜の雲を背に 静かに闇を待つ頂きは黒い

        尾根を越え始めたガスは 夕陽の光の中で 紅に染まって渦巻く

        山の一日が終わりに近づく  東側の山肌から 湧き出すように

噴き上がる白いガスが 一面に流れ 谷を覆い尾根を境に 

白い幕を降ろし始める

        大きく沈みかけた太陽は 白いガスの幕に紅の輪を映し 

        ご來迎は その輪の中心に 自身の仏を描きだす

        黒い岩稜がガスを背に浮き出すように その鋭い岩肌を連ね

        やがてに白いガスは薄く闇に溶け 小屋のランプが灯る

by kame0401 | 2014-08-05 21:08 | 旅のつれづれに | Comments(0)