燕岳難渋記



    燕岳難渋記
    
山岳残日録


       燕岳難渋記の始まりは、JR中央西線の運休で、今月9日南木曽で起きた豪雨による橋梁流出で
       運行再開の見込みも立たないと言う。その事を、出発當日に駅の窓口で初めて知り慌てたことで
       ある。仕方なく直江津を経る大廻り、一日がかりで登山基地の中房温泉に到着。
       その次は24日の朝、起きてみると雨模様で登るのを中止、お陰で温泉三昧の一日となる。これを
       難渋と言えるかどうか議論の分かれるところではあるが・・・・・・・・
       翌25日は好天、日本アルプス三大急登の一つとして名高い合戦尾根に挑戦である。これが第三の
       の難渋で、途中の合戦小屋を過ぎる辺りまでは何とか頑張っていたが、最後の登りでばてて燕山荘
       にやっとこさで辿りついた。

       (註)北アルプス三大急登   烏帽子岳のブナ立尾根・鹿島槍の赤岩尾根・燕岳の合戦尾根

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       燕山荘は建て増しを続けて大きくなり私の泊ったのは三階で小屋の中でも上り下りが厳しい。
       この日は五畳敷きの部屋に8人でゆっくり寝ることもままならない。明日は10人だと言うことだった。
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       燕山荘の荷札で、有名な版画家の畦地梅太郎の版画「山男」で洒落たものである。
       山荘の設えも民芸風の私の大好きな雰囲気で食事もご馳走である。

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       お花畑の彼方には槍ヶ岳が遠望できる。一昨年80歳で登った感慨深い山である。ミヤマキンバイか

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       燕山荘近辺から燕岳にかけて砂礫の斜面にはコマクサの群落が見事で、写真の後ろのボケた
       ピンク色は全てコマクサで、そのバックの山は燕岳である。

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       夕陽を受けて白いガスの中に出現したブロッケン現象である。日本では昔から「ご来迎」と呼び
       光の中に仏を観たのである。

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       燕岳を写した写真の中に、何と「UFO」らしきものが写っているではないか
       明くる26日、急坂合戦尾根の降下は最後の難渋で本当に泣き泣き下り、、老化の現実を否応
       無しに自覚させられたが、UFOの助けもあり、難渋を極めた今回の山行もなんとか無事中房温泉
       まで辿りつけたのである。
       中房温泉で「不老の泉」と言う名の銘泉に入ったが簡単には蘇える訳はない。さてさて最後の難渋
       は帰路の選択で宿の主人と相談したりした揚句穂高駅から松本へ行きそこからバスで高山へ、
       そして岐阜経由の特急で大阪へと相成り27日によろよろで帰阪することが出来たと言う訳。

         燕の 合戦尾根の 険しさは 残日録に 老いの烙印        天山

by kame0401 | 2014-07-30 20:03 | 旅のつれづれに | Comments(0)

捉猿艸

    




             捉 猿 艸


         捉猿艸とはサルトリイバラに私が付けた漢名である。元々この草には山帰來(サンキライ)と言う
         素敵な漢名があるのだが、申歳生れの私としては別名を進呈したくて・・・・
         夏山トレーニングとて天王山に出かけた時に見掛けたもので私の好きな山野草の一つである。
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         帰って早速素麺の箱の蓋の裏に悪戯描きしてみた。柏餅に柏の葉の代わりにこのサルトリイバラ
         の葉が使われる処があるのは、近畿以西では柏の木が自生していないためだという。

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         裏に箱を付けて、板だけをバックの布から浮かして飾ってみた。額に入れるのとは一味違う
         雰囲気になった。

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         付録版「落書き・捉猿草」花が咲き小さな実が付き始めた頃

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by kame0401 | 2014-07-24 12:06 | 絵手紙春秋 | Comments(0)

「熊野・松風に米の飯」(その3)

          「熊野・松風に米の飯」(その3)      


         「熊野・松風に米の飯」シリーズの(その3)は、「米の飯」で何度食べても毎日食べても飽きないと
         「飽きない」ものの代表にされている。炊きたての輝くような「白い飯」は確かに美味いし、戦中戦後
         の食糧難時代に食べ盛りの少年時代を過ごした私にとっては羨望と渇望の対象でこれまでにも
         幾度か話題にしてきた。処がところがである、腹一杯食えるようになったいま、私の悩みは、体重
         の増加を気にし白い飯を思う存分に食えないことである。老化で基礎代謝量の低下と運動不足
         が原因であるが、こんなことになるとは夢想だに出来なかったことである。 ウラ飯ヤ ウラメシヤ

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         北海道の銘柄米の「ななつぼし」は粳(うるち)米、古代米の「赤米」は糯(もち)米

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         北海道の銘柄米「ななつぼし」。
         「ななつぼし」は北斗七星で北海道にピッタリの命名であるが同名の豪華列車が九州を走っている
         のも面白い。こちらは三ツ星レストラン系列の命名なのだろうか。
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         古代米「赤米」
         古代米の赤米は糯性で粘りがあり炊くと「赤飯」になる。後の時代に糯米に小豆を入れて「赤飯」
         を炊くようになったのは、古代の様式を引き継ぐ祀事に関係しているのではないか。
         東南アジアの長粒米は粘りがなく、現地では吹きあがった僅かなねばりも捨てると言う。
         それに対して日本人が粘りやネバネバを好むのは、日本人のルーツを探る上で重要なカギであり、
         雲南省辺りから日本まで続く照葉樹林帯の帯上の地域では不思議とネバネバ文化が共通している
         のも興味深い。

by kame0401 | 2014-07-16 17:34 | kameの独り言 | Comments(0)

熊野・松風・米の飯(2)

            松風 世阿弥が仕上げた「幽玄無上」の古作

           シテ梅若玄祥師  2014.6.28 大槻能楽堂


         先の「熊野」に次ぎ「熊野・松風・米の飯」 の(2)は「松風」である。 それも梅若玄祥師がシテで
         願ってもない機会である。 
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         揚幕の影から現れたシテの玄祥師を観て先ず驚いた、そのボリュームの大きさにである。

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         汐汲み車を曳くところ 「月は一つ 影は二つ満つ汐の夜の車に月を載せて」

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         行平の形見の烏帽子と長絹を掻き抱き、ついには形見に面を埋めて泣く

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         「あら嬉しやあれに行平のお立ちあるが」

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        中の舞の玄祥師は、あの橋掛でのあのボリュームは消えて、同一人物とは思えない舞台姿を堪能。

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         「これは懐かし君ここに・・・・・・・・・磯馴松の懐かしや」

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         「夜も明けて村雨と聞きしも今朝見れば松風ばかりや 残るらん 松風ばかりや 残るらん」


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by kame0401 | 2014-07-08 21:31 | 舞台寸描 | Comments(0)