善知鳥・蟻通

           善知鳥(うとう)・蟻通(ありどうし) 

  
           山中雅志師独立5周年記念蝋燭能    2014.6.21    山中能舞台

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            第一部「善知鳥(うとう)」  シテ山中雅志師  能面「瘦男」

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            第二部「蟻通(ありどうし)」  シテ山中雅志師  能面「石王尉」

by kame0401 | 2014-06-30 21:23 | 舞台寸描 | Comments(0)

インセクト・ニュース

       インセクト・ニュース

        高校時代所属していた昆虫研究部では、1年先輩のM氏の発案でインセクトニュースなるものが発行
        されていた。当時の事だからガリ版刷りで不定期刊行の部報だった。私が主にガリ切りを担当していた
        ように記憶するのだが、後輩たちにも引き継がれて結構長く続いていたのである。今ならパソコンで
        写真も載せることが出来るのだろうが、当時はそれでも愉しんでなんだかんだと詰らないことでも記事に
        したものである。 今このブログで蝶の写真を撮り愚にもつかない駄文を添えているのは、インセクト
        ニュースの私家版のようなものである。 ガリ版で蝶の絵を描いていたこともあり、今から思えば懐かしい
        ことばかりで、そんなことを思い出すのは歳のせいだろうか。
 
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         ハグロトンボはその飛び方が羽をパタパタさせてヘリコプターのような感じのするのも面白い

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         薄ぼんやりとした意識の中のに浮かぶハグロトンボ

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         アオスジアゲハは飛び方が敏捷で網で捉えるのは難しいもので、モチの花に飛来したところをパチリ。
         ところで蛇足ながら、モチ「黐」の木は「とりもち」を造るところから付いた名前だと言うことをご存知か


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         カメラを向けて覗いた時には既にファインダーから消えていることが多い。

by kame0401 | 2014-06-22 18:43 | kameの独り言 | Comments(0)

姨捨

              姨捨

           「蘭の会」2014.6.8 シテ 観世清河寿師  湊川神社神能殿

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         「わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」

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         巧く筆が動かないもどかしさにいらだちながら舞台を追う

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         これまで「姨捨」は梅若玄祥師や片山幽雪師などの舞台を観てきたが、八十路を迎えた私にとって今回の
         姨捨は複雑な感慨を覚えるひと時であった。
         後悔や悪あがきの毎日を送る私にとって、澄み渡る満月の光の下で「弄月」の心境に浸れる老境は望む
         べくもないが・・・・・・・・筆を走らせながらそんなことを考えていた


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by kame0401 | 2014-06-16 11:07 | 舞台寸描 | Comments(0)

日々好日・日々残日

      日々好日・日々残日  わが街南茨木駅前俯瞰

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         この街に引っ越してきてもう30余年になる。オイルショックの後の頃だったと思うが阪急電車が京都線
         の南茨木に新駅を作り周辺を開発して売り出したところである。 このマンションも阪急の物件で当時は
         抽選で入居者が決まるような時代だった。そのうちモノレールも開業して伊丹の飛行場にも便利になり、
         高速道路の吹田インターもごく近いとあって、当時車に乗っていた私には便利この上ない条件の住まい
         であった。
         そのうちに同じ階段の8階に空き部屋だ出来たので手に入れて、家内の両親を呼ぶことにした。その
         後阪神淡路大震災で兄がなくなり母をこれも同じ階段の4階に呼ぶことになった。私の住いは5階なの
         で両方の親が同じ階段の上下に住みサンドイッチ状態で面倒を見ることになったのである。みそ汁の
         冷めない距離というが家内はそれは大変だった。両方の親を無事看とり終えたら、こちらも70を迎えて
         いた。時は流れいま5階の一部は能面教室として同好の仲間が寄りあう場になっているし、8階には
         家内の甥夫婦が住むようになり、半ボケ老人は此処を終の棲家として日々好日な残日を過ごしている。

by kame0401 | 2014-06-10 10:39 | 街角寸描 | Comments(0)

思い出の「一枚の絵」

        思い出の「一枚の絵」
  



        1958年5月1日に描いた南アルプスの両股小屋で背景は間の岳である。F3号(22×27)のスケッチブックに
        細いサインペンか何かで丹念に描いているもので、私には忘れられない思い出を秘めた一枚である。
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                                     南アルプス両股小屋と間の岳  1958.5.1

       中学時代からの山仲間3人で5月の連休に南アルプスの「北岳」に挑んだ時の事である。Y君は伊那に住み
       南アルプスを我が家の庭のようにしていた頼もしい仲間で、もう一人のH君は山登りが好きで会社を休み過ぎて
       首になるほどの猛者で、気の合った三人組であった。4月29日に伊那から戸台を経て北沢小屋に入り、
       翌30日に仙丈岳を越えばか尾根の途中でビバーグをして北岳に挑むと言うのがこの時の計画だった。
       仙丈岳を越える頃までは順調だったが、陽が高くなると5月の稜線の雪も根腐れして一歩ごとに輪貫が沈み
       雪の下にあるハイマツの枝に絡んで身動きが取れない状況が続いた。これは想定外でさしもの猛者?三人
       ともに疲労困憊し、このまま進むのは無理だと判断せざるを得なくなった。そこで尾根から野呂川へ下ること
       にし、ハイマツの斜面をやがて森林帯の雪の斜面をただやみくもに下り続けた。やっとのことで河縁まで
       降りた時は陽も既に暮れていた。しかし目指す両股小屋がここから上流なのか下流の方なのかが解らない。
       H君と私が上流と下流に分かれて探しに行くことにしたが、幸い私が少し上流の薄暗い林の中に中に小屋を
       見付けることが出来た。ようやく辿りついた小屋で暫く放心状態で、食事もそこそこに死んだように眠りこんだ
       のを覚えている。
       翌日は一日骨休めとて絵を描いたり、単独行の先客と岩魚釣りを愉しんだりのんびり過ごした。そんなわけで
       暇にまかせて、やけに細かく丁寧な線描きのこの絵が出来あがったわけである。この絵を見る度にしんど
       かったあの山行きの苦くも懐かしい思い出が鮮明に蘇えるのである。
       現在の両股小屋は新しく建て替えられて立派になっているらしいから、これは貴重な記録画と言うことになる。

       翌年の5月に再度挑戦し、今度は野呂川を詰めて雪の北岳山頂を3人揃って踏むことが出来たが、いまは
       H君もY君も既に亡く、当時を懐かしみ語り合うことは最早叶わない。
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       1959.5.3 登り終えた北岳をバックに吊尾根で記念写真  後ろの左がH君右がY君で前で座るのが私

by kame0401 | 2014-06-05 21:18 | Comments(0)