時の過ぎゆくままに

        時の過ぎゆくままに


        81歳の光陰は矢よりも早く、あっという間に一年は暮れ、さらに我が人生も今や黄昏ようとしている。
        こうなれば無駄な抵抗をせずに時の過ぎゆくままに身を任せるより外はないと思う今日この頃である。
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        この一年、相次いで身近な知人友人の訃報に接し俄かに身辺が寂しくなった。夜空に聳え電光
        に飾られたこの太陽の塔が私には墓銘碑にも見えたのはそのせいかも知れない。
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        ビームペインティングで刻々鮮やかに色彩を変化する太陽の塔に私は岡本太郎の幻影を感じながら
        眺め入った。
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        岡本太郎の彫刻を見てふと能面彫刻を思った。ある種の誇張と言うかデフォルメが能面にもある
        からだろうか。
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        人によって一年は様々な意味を持っている。15歳の時の一年は、人生が1/15も加算され新たな人生経験
        は宝物である。それに対して分母の大きくなった81歳の私には人生がタッタ 1/81増えるだけで記憶にも
        残らない一年となる。
        歳をとると一年が早いと感じるのは、その人の人生に占める一年の重みの違いなのだろうか・・・
        八十路を歩む私に対して時は容赦なく刻み続けて、今年も釣瓶落しに暮れようとしている 。そこには、振り
        返ってこの一年何も出来なかった自分を思い知るのが怖くてブログを読み返すことも出来ない私がいる。 

        (註)「ビームペインティング」は凸凹面や曲面に投影し歪みを補正する最新の映像投影技術で、これにより
        飛躍的に美しい映像が何処にでも投影できるようになった

by kame0401 | 2013-12-27 06:16 | kameの独り言 | Comments(0)

道端調査「総背番号制の評判」

         道端調査「総背番号制の評判」

        「国民総背番号制」というのがある。年金から健康保険などなど諸々の個人情報を一元管理するという奴
        である。政府が信用できない現状で、これが実施されれば恐ろしいことになる。我々が知りたいと思う情報は
        個人情報だから開示出来ないと拒否され、データーだけが闇から闇に悪用されるのをチェックする仕組みは
        ない。なにせ、この国には人権とか知る権利と言うような基本的な権利が保障されていないのだから。

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        公園の樹木の幹に5ケタの番号の金属板が付けられているのを見て、背番号について一本一本木々に
        感想を聴いて廻った。
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        その結果は写真でご覧のように極めて評判が悪く、その拒否反応は多くの木が成長と共に、この異物の
        背番号金属板の釘を弾き飛ばし、釘が抜けなかった側は、この異物を飲み込んでいるのを見れば一目
        瞭然である。
  
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        「管理なんかされてたまるか」という木々の誇りをさえ感じるのである。何だ板こんな板こうしてやる!
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        勿論木々の中には、おとなしく受け入れている樹もあるが、全般に嫌われているとしか思えない。
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        樹木は樹種ごとに、それぞれ美しい木肌を持ち造化の天工を思わずにはおれない。その美しい肌が傷つけ
        られているのを見るのは悲しい。
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        樹木のしたたかな生命力の前に人間の浅はかな智慧はもろくも砕かれるのだ。釘穴は引き千切られ
        5ケタの番号は飲み込まれて今や僅かに2ケタの数字が確認出来るだけだ。
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        「樹を見て森を見ず」という諺がある。樹の声を聴き、そして森のささやきにも耳を傾けよう。
        無残に整形された街路樹を見ると悲しくなる。歩道を広くしてその中央に街路樹を植えれば伸び伸びと枝を
        張り、信号や電線の邪魔にならないで済む。人も樹も管理される対象ではなく、その存在そのものが尊重
        される世の中であって欲しい。人や樹々には無機的な背番号より、優しい愛こそがふさわしいのでは。

by kame0401 | 2013-12-21 18:54 | kameの独り言 | Comments(0)

小さい秋見ィつけた

        小さい秋見ィつけた

        私は生来へそ曲がりなのか道端の何気ない処で、ひっそりと紅染むる「小さい秋」が大好きである。
        ぶらぶら歩きの道すがら見付けた時の嬉しさは格別で、それは「小さい秋」を独り占めにした満足感で
        満たされるからだろうか。
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        桜の太い幹から直接出た小さな小さな枝は春にはきっと小さな花を付けていたに違いない。秋になり、
        この小さな枝のたった一枚の葉は誇らしげに見事に紅葉している。これぞ「小さい秋」である。
        
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        南天の茂みの下にひっそりと芽生えた二世にも秋は訪れている。上ばかり見て通り過ぎる人々に
        「私を見て」と叫んでいる声が聴こえたような気がした。

by kame0401 | 2013-12-16 16:56 | カメラの眼で | Comments(0)

身捨つるほどの祖国はありや

        身捨つるほどの祖国はありや   ー開戦記念日に想うー
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        <第一話>ああ12月8日のいま  -特定秘密保護法案の暗雲・瀕死の平和憲法ー
        昭和16年(1941)12月8日、開戦のラジオ放送は小学四年生の軍国少年を酔わせるのに充分な華々しい
        戦果を伝えていた。それから四年後の昭和20年(1945)8月15日、敗戦の玉音放送は中学二年生の
        軍国少年を打ちのめすのに充分であった。悲惨な戦争の惨禍と、戦争の現実を目の当たりにしながらも、
        その日まで日本が負けるとは思わなかったのは不思議である。祖国日本のために身を捨てるのは当然だと
        思っており、当時日本側にも「東洋平和のため」とか「大東亜共栄圏」とかそれなりの「正義」があった。
        「正義」の対極に在るのは「悪」ではなく「別の正義」であることを知ったのはずっと後である。勝てば官軍で
        アメリカの「正義」はその後も世界を席巻している。イスラムの「正義」を筆頭に「価値観の多様性」を認め合う
        ことこそが世界平和の鍵なのだろうにと私は想う。

        私は「日本は負けて良かった」と正直思っている。しかし折角負けたのに「なぜ負けたのか」、「なぜ負けて
        良かったのか」を明らかにしてこなかったため、敗戦と言うまたとない経験が生かされずに今日まで来て
        しまったことが残念でならない。
        それには、どんな秘密事項であろうと、30年を経れば検証出来ることが保証されない限り、同じ過ちを繰り
        返すことになるだろう。日本が明治以降の歴史を正しく検証出来ていない最大の原因は秘密事項の解明が
        進まないからである。特定秘密保護法案が問題なのはこの点で、「知る権利」これは民主主義の原則である。

        「負けるが勝ち」という見本を世界に示せる機会を日本は持っているのである。戦後68年日本は誰ひとり
        戦争で死んだ人はいないのである。靖国神社に祀る人がいないという平和な時代が続いていることを
        忘れてはいけない。乃木希介や西郷隆盛は祀られていないという靖国神社は基準が曖昧で、私は本来
        不要と思っているが、可否を論ずる以前にこの祀る人がいない状態の有難さを噛みしめねばならない。

        寺山修司の詩の一節「身捨つるほどの祖国はありや」は、戦中戦後の混乱の中で社会主義の夢にも
        裏切られた世代の嘆きとも思えるが、「祖国のため」に身を捨つることのない世界は夢のまた夢なの
        だろうか。

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        <第2話>ああ日の丸・君が代のいま   ー国旗国歌法案の付帯決議「強制しない」はどこへー
        教師をしている私の友人が卒業式での君が代斉唱に不起立とて戒告処分を受け、それを理由に定年後の
        再任用を取り消された。彼は府の人事委員会に不服申立てをし、先日その口頭審理があるというので傍聴に
        出かけた。
        「祖国のため」として多くの若者が志願してまで出征していったとき私達少国民は千切れるまでに日の丸を
        振り彼らを死地に送り出したのだった。君が代またしかり。他の国の国旗も血に塗られた歴史をもつものが
        あるし国旗・国歌に罪がある訳ではないことは言うまでもない。

        問題はそれを権力が強制し従わないものを処分するというところにあるのだ。個人が自分自身の良心に
        従い行動する自由を保障することが出来ない社会は不幸である。私は国家が国民に求める忠誠心に対し、
        国民は良心的拒否権をもつと考える。

        君が代を歌わないからとか、口パクで本当は歌っていないのを監視し報告させるというのを聴いて、
        いつから日本はそんな情けない国に逆戻りしてしまったのかと唖然とし、戦慄をさえ覚えるのである。
        「歴史の批判に耐えることが出来るか」これは権力側にも市民側にも求められる最低の規範だと私はおもう。

        戦時中私が通っていた中学校は殆どの教師が戦争を賛美する軍国主義教育全盛の中で、唯一人授業中に
        「日本は負けますよ・・・」という音楽教師がいたことは忘れられない。軍国少年の私は当時違和感を覚えたが、
        いまにして思うとこれは色んな意味で重要なことを物語っていると思う。当時これを授業中に話すことは
        かなり勇気がいることではなかったのか、それを許す空気がまだこの学校には残っていたのか、いまは
        それを確かめるすべはない。しかし当時は軍事教練のため退役軍人に加えて、現役の将校が各校に
        配属していた時代だったことを思うと感慨深いものがある。

        敗戦で価値観の逆転を経験した私はこの得難い体験を宝にしていた。しかしその後戦後の教育改革の
        中身が問い直された所謂大学紛争の波は高校にも及び、当時教師だった私はその姿勢を問われる側に
        なった。彼はそのとき問い質す側にいた生徒の一人である。いまその彼は教師としての姿勢を問われる
        側にいる。 自分の良心に従い行動した彼を見て私は心から敬意を払うと共に心強く思ったことである。 
        また当日支援傍聴に来た彼の仲間が同じように「君が代」問題で処分を受け、共に闘っていることを知り、
        大いに勇気付けられると同時に、歴史の歯車を逆に回そうとする勢力の台頭をいま何とか食い止めねば
        と思いを新たにしたことである。

        国旗国歌法案の「強制しない」という付帯決議は思想信条の自由を保障した憲法に依拠するものである。
        しかるに職務命令で君が代・日の丸を強制するという教育委員会は明らかに憲法違反であり、特定秘密
        保護法案の成立と共に平和憲法は今や瀕死の状態である。
        

by kame0401 | 2013-12-08 13:26 | kameの独り言 | Comments(0)

若女の素顔

          若女の素顔


         「若女」は数ある女面のなかでも最も女らしい能面であり、それはまた最も捉えにくい女面の筆頭でもある。
         どんなに彫刻に工夫を凝らしても実像からは程遠く、どんなに彩色に苦心を重ねても嘲笑うがごとく遠のく
         のがこの面である。特徴のある能面は難しくもそれなりに捉えどころがあるが、特段の特徴がないこの若女
         は実に捉えどころのない厄介な面なのである。
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         「若女」の面は二十歳そこそこの若く美しい女を現していると謂われるが、面を傾けていくとあの恐ろしい
         「般若」の姿が垣間見えるのは不思議である。般若は決して想像上の姿ではない。女の中に潜む心の闇を、
         その優しい女の表情の変化の中に見出し、見事に造形化したしたものなのである。       
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         尋常の彩色では巧く仕上がらないので、パソコン上で遊んでみることに・・・・・・・         
         単純化した方が若女の実像に迫れるかも・・・・・・・・
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         最新作のこの「若女」が果たして舞台で使えるかどうか、いつもご教示を頂く能楽師の眼は厳しいからな・・・・

by kame0401 | 2013-12-03 19:27 | 能面雑話 | Comments(0)