コプト織裂

         コプト織裂      私のガラクタ美術館(26)


        今回はコプト織の裂端である、上が35センチ下が30センチの小さなもので額装して飾っている。これは
        馴染みの骨董店で眺めているうちに買うはめになったもので結構お気に入りの一つである。
        金もないのに骨董に興味があり、骨董師匠の同僚と骨董屋巡りをしているうちに私にも馴染みの店が
        出来る、値切ると気持ちよく負けてくれる。やがて此方の好みを覚えると市で好きそうなものを見つけて
        買っておき顔を見ると奥から出してきて、これFさんが好きだろうと思って買ってきましたという。此方の
        懐具合もお見通しだから、そんなに高くない。こうなると三度に一度は買わぬわけにはいかなくなる、所謂
        「義理買い」と言うやつである。そんな形で増えたコレクションだが、いま思うと義理買いでなければ買わ
        なかった優品が結構ある。
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        コプト裂とは古代エジプトのキリスト教徒の人たちが使っていた綴れ織であり、地中海文化の影響をうけて    
        いると謂われている。
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        平織で緯糸(横糸)に色糸を使い身近な花や動物が図案化されて独特の雰囲気を醸している。
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        魚の図案だが生き生きと今も鮮やかな紅色が残る
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        チューリップだろう見事に図案化している
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        くねくねと身をくねらせるのは蛇それとも海蛇か
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        上の烏の子供だろうか、それとも水鳥なのだろうか


        現在エジプトではコプト教徒(キリスト教の一派)は少数派になり、イスラム教のイスラム同胞団による
        迫害が報じられている。コプトは古くて新しい歴史を私達に示している。


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by kame0401 | 2013-09-26 20:19 | 私のガラクタ美術館 | Comments(0)

北穂高小屋と横尾岩小屋と

         北穂高小屋と横尾岩小屋と


         北穂高は昭和32(1957)の10月、友人のN君と二人で登ったのが最初である。大阪を夜行列車で
         起ち、次の日は上高地を経て横尾の岩小屋に泊まり、翌日北穂の頂きに立って北穂小屋に泊まった。
         帰路、私は東京へ出て友人のT君の下宿に潜り込み、翌日上野の国立博物館へ開かれていた学会で
         小論文を発表するというへんてこりんなスケジュールの山行であった。
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         北穂小屋は他の一般的な山小屋とは違い、格別の趣きを持つ山小屋であった。机や椅子も民芸家具で
         設えられ趣味の良い山小屋で聞きしに勝るその雰囲気に私は忽ち虜になった。この小屋はその後幾度か
         増改築されたが、新たにオーディオ装置を備えたり、使われている皿やコーヒーカップに別注で高山植物の
         イワツメクサの花をデザインするなど他の山小屋とは一味違う点は今も受け継がれている。私が最初に
         訪れたのは当初の10坪程の小じんまりした山小屋だった。結婚したら彼女を連れてこようと、そのとき心に
         決めたが実現したのは13年後のことである。        

         この北穂小屋は3000mの山頂の一角に、小山義治氏(大正5年・1920生)が卓抜した発想力と卓越
         した行動力で建てた奇跡の山小屋なのである。敗戦間もない混乱の昭和22年(1947)に着手し翌昭和
         23年(1948)に完成したこの小屋は、現在のようにヘリで資材を荷挙げすることなど出来なかった時代に
         横尾の岩小屋に寝起きして樹を伐採し製材して、それを自力で担ぎあげたのである。100キロを遥かに
         超えたであろう小屋の梁をあの場所にどうやって運び上げたのか神業としか思えない不思議である。
         山小屋を自力で建てようと考えること自体が奇想天外な計画であり、上に掲げた彼の著書「穂高を愛して
         二十年」を読み返してみて、今更ながら彼の凄さに鳥肌が立つのを覚えたことである。この本のカバーに
         記された紹介の文章は「戦後の混乱期をいかに生くべきかを自らに問いつつ、遥か稜線上に資材を担ぎ
         上げ山小屋を建てる・・・ 穂高に生きた山小屋主人の苦闘と喜びの記録。」とあるが、読み進めば本当に
         その超人ぶりに改めて感動を覚えるのである。

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                     「横尾岩小屋」 現在は崩落して岩小屋としては使えなくなり、
                     横尾岩小屋跡の標識が立っている。

         昭和32年(1947)の北穂行のときは、同行のN君とこの岩小屋でシュラフザックに潜り込んだ懐かしい
         ところである。この岩小屋は川を挟んで正面に屏風岩の大きな岸壁がそそりたち、この岩小屋で寝ると
         屏風岩で死んだクライマーたちの幽霊がでるというので有名だった。はたせるかな夜中にシュラフで
         寝ている私は顔を撫でられて眼が覚めた。隣で寝ているN君も同じように起こされた。エ―やっぱり幽霊
         だと思ったが、それはどうやら岩小屋に棲むザトウムシの仕業ではないかと思い返した。別名メクラグモ
         ともいうこのザトウムシは長い肢で探るように撫ぜながら歩く習性があり、これが顔の上を歩いたの
         だろうと結論付けてまた眠りに着いたが、本当は幽霊だったのかもしれないと今でもフト想うことがある。

         この岩小屋が小山氏の北穂小屋建設基地だったとは当時知らなかったが、その岩小屋もいまは崩れて
         当時を偲ぶことも出来なくなり、屏風岩の幽霊たちも出る先を無くして困っているのではないのだろうか。

by kame0401 | 2013-09-18 11:43 | kameの独り言 | Comments(0)

小袖曾我・谷行

        小袖曾我・谷行

        友人のAさんから「松花の会」に招待され京都観世会館へ。例によって下手な能舞台寸描を。
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        「小袖曾我」  井上裕久師親子の相舞は見事に揃って綺麗だったが、私の絵は相舞にはなっていない
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        「小袖曾我」  優美な舞の姿も その一瞬を捉えるのは至難である       
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        「小袖曾我」  何枚描いても替り映えしないが諦めずに・・・・・       
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        「谷行」  動きのない場面では少し描きこんでもみるが、私は描き殴りの方が好きである
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        「谷行」  後シテは「顰」と言う能面をかけて出てくるがあっという間に終わる。      
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        「谷行」  動きが激しく早いので残像頼りに描くことになる        
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        「谷行」          

by kame0401 | 2013-09-10 07:46 | 舞台寸描 | Comments(0)

山の画帳

         山の画帳  下手の横好き


         老骨に鞭を打っての山行は、ザックの荷物をいかに減らすかが勝負である。若さは金で買えないが軽さは
         金で買えるとて山の装備には随分金をつぎ込んできた。そんな中でいつも悩みながらザックに忍ばせる
         のが画帳と絵具セットである。画帳もあまり小さなものでは駄目だとF3号(400g)を、絵具はコンパクトに
         詰め込んだ36色(200g)を。しかし最近は途中の休憩で画帳を開く余裕が体力・精神力ともになくなり
         実際描けるのは幾枚もない。しかしそれでも後悔しないためにザックに忍ばせていくのである。
         私にとっては、この書き殴りの絵の方がデジカメで撮った何百枚の写真より、捨てがたい味があるので
         ある。この絵を見るたびに、81歳の無謀登山を思い出すだろうし北穂高のあの感激が蘇えるだろう。
         再び登ることの叶わない北穂高も、私の画帳の中では永遠に私と共に居るのである。
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         北穂の小屋は展望が良い処で、滝谷の岩稜はもう少し下から描ければもっとよい構図になるのだろうが、
         恐ろしくて手も足も出ない。
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        北穂小屋の裏で滝谷の岩稜を描く、すぐ横から槍への縦走路がくだりキレットが真下に見える。
        最後の登りを終えた登山者が岩角からひょっこり顔を見せる。絵の出来はともかく幸せなひと時である。
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        梓川の畔から仰ぐ焼岳、いまは噴煙があがっていないように見える。今回の収穫は結局この数枚だけ。

by kame0401 | 2013-09-02 18:32 | 旅のつれづれに | Comments(0)