囲炉裏端の饗宴

        囲炉裏端の饗宴   嘉門次小屋天国

        北穂高小屋から涸沢小屋への下りは厳しく危険、涸沢で一泊して翌日ようやく明神の嘉門次小屋に。
        そこは思いもかけぬ総檜のお風呂と、懐かしい岩魚の塩焼きが出迎えてくれた。
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        久しぶりに訪ねた嘉門次小屋では、昔ながらに囲炉裏端で岩魚が焼かれていた。
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        時間をかけて炉端の灰が綺麗に整えられ、串に刺した岩魚が次々と斜めに挿されてゆく
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        腹の側がある程度焼けると裏返す作業がこまめに繰り返される
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        囲炉裏に架かる大きな鉄瓶を取り巻くように円陣を組んだ岩魚は薪の紅い炎に照らされ、
        じっくり四十分もかけて焼かれる。骨まで軟らかくなるのは遠赤外線の効果だろうか
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        焼き上がると岩魚は円陣から外れて横に並び、いい香りが漂う
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        綺麗に焼き上がったた岩魚の肌は塩が浮き上がり美味しそう、頂きまーす
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        日本列島は猛暑に包まれ40度などと言うニュースが流れる中、囲炉裏の火が温かいと感じられるのは幸せ
        である。 北穂高に無事登頂出来た喜びに浸るなかで帰阪を遅らせもう一泊することにした。
        四十余年前の記憶を辿りながら、懐かしい囲炉裏の炎を時の経つのを忘れて見つめ続けたことである。

by kame0401 | 2013-08-27 13:11 | カメラの眼で | Comments(0)

北穂高の夕まぐれ

  




         北穂高の夕まぐれ

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         薄雲が左からキレットを越えてゆっくりと流れ縦走路の先に槍が聳える

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         陽が傾き薄雲が次々と渦巻くように流れては消える

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         斜光にその岩肌を際立たせる滝谷の岩稜

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         薄暮に立つ影法師

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         夕まぐれ暮れゆく北穂高の光と影



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by kame0401 | 2013-08-21 07:17 | カメラの眼で | Comments(0)

北穂高岳幻想劇場

            北穂高岳幻想劇場

         二年まえの槍ヶ岳登頂に味をしめ、この度は北穂高岳の山頂小屋からキレットの向こうに聳える槍ヶ岳
         を望まんとて、歳甲斐もなく挑みナントカ頂上を踏み得たるが、いやはや降参致し候。救助ヘリに乗ること
         なく無事下山致し候へど年寄りの幻想劇場も今回で幕と致す所存にて候。他事ながらご休心の程を
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                                                  北穂高岳滝谷岩稜



        北穂高岳頂上(3106m)直下飛騨側に落ちる滝谷がある。 急峻な上に岩が崩れやすく、クライマーたち
        の聖地のひとつ。そそり立つ岩稜は魅力的で、私は絵に挑戦したが、偉大な滝谷を捉えるのは容易なこと
        ではないことを直ぐに悟らされた。

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        このスタンプは昭和45(1970)年10月に家内と北穂に登った時のものである

  
        この度の北穂高岳行は43余年前、簡単に登れたという当時の記憶を基に、年を弁えず幻想が膨らんで
        企画した今から思えば無謀な登山であった。
        その結果は忽ち「山をなめるな!」と存分に思い知らされるはめになった。 しかし81歳の山男の心意気
        に応えてくれたのか好天続きで、いまは感謝の気持ちと達成感に浸っている。

by kame0401 | 2013-08-18 07:00 | 旅のつれづれに | Comments(0)

敗戦記念日に想う

         敗戦記念日に想う

       私が敗戦を迎えたのは中学2年生の時だった。毎日のように空襲を受け日本中が焼け野が原になって
       いても負けるとは思わなかった軍国少年にとって、玉音放送はまさに晴天の霹靂であった。
       今年の敗戦記念日は山からの帰りの日だった。山で出逢った若い人との話の中でも私はそのことに触れて、
       敗戦を終戦と言い換え、占領軍を進駐軍と言い換えて、自ら戦争責任を明らかにせぬまま今日に至っている
       こと話した。靖国神社の問題は東條英樹をはじめとする戦争責任者の合祀が問題の核心である。
     
       東條英樹は昭和16(1941)陸相の時に「戦陣訓」を示し「軍人勅諭」の具体的な行動規範を示した。

       戦陣訓  本訓 その二

       第八  名を惜しむ
       恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々奮励して其の期待に答うべし。生きて虜囚の辱めを
       受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。


       多くの軍人や民間人までもが自ら死を選んだのは、戦陣訓のこのくだりのためだとされている。
       私が問題にするのは、この戦陣訓を出した東條本人の行動である。占領軍に囚われ、極東裁判で死刑 
       判決、そして絞首刑。これは生きて虜囚の辱しめを受けたことではないのか、そして軍人なら、名を惜しみ
       自決すべきではなかったのか。彼はピストルで自殺を図ったとされるが、失敗している。軍人の頭目がピストル
       で確実に自決出来ないのは可笑しいではないか。彼の出した「戦陣訓」をまもり死んでいった無数の人々の
       ことを考えたことはなかったのだろうか。
       恥を知り、名を惜しむなら、先の戦争の責任を思い、8月15日にまず率先自決すべきであった。
       赤紙召集令状で戦死した人たちと一緒に靖国神社に祭られる資格はないし、恥を知り、名を惜しむなら、
       合祀を辞退するのが当然である。
       極東裁判の不当を言うより、日本人自らが先の大戦の責任を明らかにし、不戦の誓いを新たにすることが
       靖国神社に祭られた多くの霊に報いることではないのか。戦後68年日本では「戦争や空襲などの戦禍で
       死んだ人は一人もいない」これは驚くべきことで、平和の尊さを改めて感じることである。

by kame0401 | 2013-08-15 07:00 | kameの独り言 | Comments(0)

桃の毛物語

         桃の毛物語  電気シェーバーは桃の毛を剃れるか


        今は桃の美味しい季節である。頂戴物の桃を見ながら、また何時ものあのことを思いだしていた。
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        桃の実には細かい柔らかな毛が密生している。リンゴのように皮ごと丸かぶりするのを躊躇するのは
        この毛のためかも知れない。良く見れば、ビロードのような毛が全面に見事に密生している。
        ところで童話「桃太郎」に出てくる桃は先が尖った形をしているが、30年前に中国を初めて訪れた時、
        市場であの尖った桃太郎の桃が並んでいるのを見て感激したのを思い出すが、いまはどうだろうか。
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        何時も思いだすあのことは何かと言うと、それは「電気シェーバー」である。それは電気シェーバーが
        出始めた頃の話だから随分昔のことである。いつの時代も同じだろうが、各社ともわが社の性能こそ
        一番と宣伝にこれ努めたのは言うまでもない。     
        ひげそりと言うのは簡単そうに見えてなかなか厄介なもので、散髪屋さんで昔ながらのカミソリを使って
        剃ってもらったように巧く剃るのはそう簡単なことではない。伸びすぎても剃りにくいし、剃り残した短い
        髭も厄介である。
        電気シェーバーの性能もどんどん改良されて、硬い髭から柔らかい産毛まで剃れると宣伝合戦になる。
        しかし電気シェーバーはどちらかと言うと柔らかい毛は苦手でなので、それがうまく剃れると言うのが
        宣伝のうたい文句になり、挙句に「わが社の電気シェーバーは桃の産毛が剃れます」というのが現れた。
        これは本当に剃れるのかどうかより、笑うしかなかったが、広告宣伝の行きつく先の面白さでもあり
        今でも桃を見ると必ず思い出すことである。




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by kame0401 | 2013-08-09 18:44 | kameの独り言 | Comments(0)

闇を照らすのはドチラ

         闇を照らすのはドチラ     


          この世の闇を照らすのは和ローソクの揺らぐ炎か、それとも仏の慈悲か

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          チャクラサンヴァラ <チベット密教の仏>の眼差しの先は

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          和蝋燭の光には独特の柔らかさと揺らぎがある

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          こうして対峙すると、そこに一つの宇宙が・・・・

          これを撮影しているとき頭に浮かんだ光景があった。その昔、旅したチベットの密教寺院のことである。
          暗い堂内にはヤク(チベット牛)のバターを用いた灯明が無数に並び、独特の臭いと共に幻想的な光が
          揺らぎ、怪しげな歓喜仏や極彩色の曼荼羅を浮び上がらせていたのを。




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by kame0401 | 2013-08-01 20:00 | カメラの眼で | Comments(0)