閑中お見舞かもめーる

   閑中見舞・かもめーる      川口余禄

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        忙中閑じゃなく私は閑中忙の毎日で、お忙しく働いておられる人の気分を逆なでするのが仕事で
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        ここの癖毛が気にいらんねんなー
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        チョット引っ張ったら直らんやろか
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        やっぱりあかん ようならへんがな―
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        そやこの辺も気に入らんねん
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        なんぼやってもあかんなあ もうやめや
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        あーあ 暇やなあ

        おい其処の盗撮屋のおっさん 撮るんやったら綺麗に撮ったりや
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        では ハイ ポーズ    これで宜しょすか  別嬪のカモメさん

by kame0401 | 2013-01-24 19:45 | カメラの眼で

大地震両川口津浪記

           大地震両川口津浪記   もう一つの石文


         擁護璽に続き次の日には、大阪市の木津川に架かる大正橋の東詰に遺るもう一つの石碑を尋ねた。
         ここは安政の大地震で安治川と木津川の両川口の津波の記録を記している。
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         ここでは宝永地震津波の言い伝えを生かせず被害を大きくしたことを記し、将来もまた同じような地震
         があれば必ず津波が来るので決して舟で避難することがないよう、後世のため記録をのこし置くので、
         「願わくば心あらん人 年々文字よみ安きよう墨を入れたまふべし」 と結んでいる。
         現在この地では、建碑された方々の精神を受け継いだ記念碑保存運営委員会の方々の手により、
         地蔵盆に合わせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっているという。

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         この碑が建ったころ此処には橋はなく、大正時代に鉄製アーチの「大正橋」が架けられ、現在の橋と
         生まれ変わるごとに石碑も移設されてきたという。
         堺の「擁護璽」と共にこの二つの貴重な石碑を遺した先人たちの声なき声を、我々は今こそ心して聴く
         ことが求められているのではないだろうか。

by kame0401 | 2013-01-16 11:06 | kameの独り言 | Comments(0)

擁護璽の今

             擁護璽の今   先人の遺志

        先の蘇鉄山の初登頂は、蘇鉄山登山口にある「擁護璽」を尋ねると言う別の目的があってのことだった。
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        江戸時代に大阪は宝永地震津波(1707)と安政南海地震津波(1854)で大きな被害を受けている。

        大阪には江戸時代の津波を記録した石碑が二つあり、その一つがこの堺市大浜公園に残る「擁護璽」
        である。 「擁護璽」の璽は「をして(押し手)」を意味し、災害から人々を庇い守るしるしと言う意味であろう。
        碑文の選者は名史と言われた伊藤松軒だとされる。この中で、こたびは神社の広庭に避難して助かりし
        人多きを述べ、そのむかし宝永の地震津波では舟による避難で多くの命が失われたためしありとて、避難
        のしかたを記し、、後の世までも患のなきを祈りて(神より)賜りし「をして=擁護璽」をここに祭るになん
        と結んでいる。
        宝永から安政まで約150年、安政から現在まで160年、「災害は忘れた頃にやってくる」と謂れるが、
        東南海地震が近いとされる今、この先人の遺してくれた教訓を生かしていると言えるだろうか。

       
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        擁護璽の文字は、撫ぜると指がすっぽり入るくらいに深く彫り刻まれている。 地震災害から人々を
        庇い守るため、後の世まで伝えたいとした先人の深い遺志が肌に伝わってくる想いがしたことである。

by kame0401 | 2013-01-13 15:46 | kameの独り言 | Comments(0)

私本秘百名山

          私本秘百名山  新春初登頂・日本一低い一等三角点・蘇鉄山6.84m


        山は高きがゆえに尊しとはしない。此処にれっきとした一等三角点を持つ超低山がある。蘇鉄山だ。
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        この一等三角点は最初は天保年間に港の浚渫土を盛り上げた「御陰山」に設置されたものが
        移設されたと謂われている。大阪港にある天保山も「天保の大川浚」で出来た兄弟山である。
        天保山は二等三角点が設置されており、現在4.53mで日本一低い山だとされているが、
        これ は地盤沈下の影響で1971年には7.1mあったものが、1977年には4.7m、1993年
        には4.53mになったという。 蘇鉄山の説明板も6.85mから6.84に訂正された跡が窺える。

        私本秘百名山には、このようにいろいろ歴史を秘めているところが面白い。天保山の方も天保山
        山岳会があるそうで、同じような登山証明書があるらしい・・・・

by kame0401 | 2013-01-11 19:10 | 旅のつれづれに | Comments(0)

年賀状アラカルト

  
  
         年賀状アラカルト


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            年賀状は書かないという I君を説き伏せて送ってもらった貴重な賀状である。
            ナイーブな彼の感性を感じさせる一枚である。柔らかい明かりに照らされているのは、
            インドのガネーシュ像,恥ずかしげに下に覗くのは、彼のヌードデッサンである。
            私のような遊び半分の絵ではない。彼がこの絵に込めた想いは知るべくもないが、
             今年私が受け取った200枚近い年賀状の中でも秀逸である。

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            最近は版画の年賀状が少なくなった。この2枚は毎年楽しみにしている版画である。
            昔は私も版画の年賀状を創っていたが、枚数が多くなると対応できなくなり、ガリ版刷り
            になり、シルクスクリーンに、そしてパソコンの登場であえなく落城した。
            版画はインクを付けて、ばれんで擦り一枚一枚めくる時の緊張がたまらない。

            この歳になると、一年に一度、生きている証しとして送る年賀状はもっと心を籠めなけれ
            ばと思う今日この頃である。

by kame0401 | 2013-01-06 14:52 | 絵手紙春秋 | Comments(0)

年賀状2013

        頌春 2013

        本年も宜しくお願いします
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       2012.11.3   山中能舞台

       私の打った能面「若女」で家内が能「井筒」を舞うという、永年の夢を叶えることが出来ました

      
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       有名な能面に「おもかげ」という銘の付いたものがあり、これは女房の面影を写したものだと
       いい伝えられている。  蛇足ながら私の打った「若女」は古希を迎えた今の女房を写したもの
       でも、若かりし頃の面影を写したものでもない。  しかしそんな創作面も打ってみたいものだ。




       「元旦は  冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」   蓋し名言なり・・・・・

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by kame0401 | 2013-01-01 00:00 | kameの独り言 | Comments(0)