旧西尾家住宅

  
街角寸描(3)
   旧西尾家住宅  

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「旧西尾家住宅」


吹田にある旧西尾家住宅は、重要文化財に指定されているもので、かって仙洞御料方の庄屋を務めた
西尾家の邸宅である。私が生れたのは、同じ吹田の浜の堂という処で、吹田第一小学校の門前あたり、
ここからもそう遠くないところだ。生れた場所を探して、ぶらぶら歩いてみたが、すっかり変貌していて、
町名も変わり道も広くなったせいか、方角の見当が付かずに迷ってしまった。
浜の堂とか高浜、浜屋敷などという名前は、昔このあたりまで大阪湾が入り込んでいたことを示している。
昔の地名はそれ自身が歴史を秘めているのだから、是非とも遺して欲しいものだ。

by kame0401 | 2012-02-27 19:20 | 街角寸描 | Comments(0)

街角寸描   梅田界隈


    街角寸描(2)   梅田界隈



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梅田界隈は、いま目まぐるしく変貌しつつある。茶屋町周辺と、JR大阪駅を中心に再開発の
波は留まるところを知らない。いまもあちこちに赤いクレーンがビルの上に聳えている。
昔の風情は無いものの、これもそれなりに絵になる風景かなと思い書きなぐってみた。


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by kame0401 | 2012-02-18 10:10 | 街角寸描 | Comments(0)

街角寸描(1)

          街角寸描        わが街茨木

        中之島界隈の赤煉瓦の名物建物が、ほとんど失われたと書いたが、古き佇まいを残す日本建築も
        街中では、絶滅危惧種になってきている。 描くなら今の内と思いながらも、侘しさを禁じ得ない・・・
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        我が家の近くにも、古い家並みの残る処がある。これは奈良地区の旧家で、大きな椋と楠の大木がある。


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        大手町に古くからある煙草屋さん。 昔の面影を残す姿には、自動販売機より味わいがある。
        そう言えば、煙草屋さんとか散髪屋さんとか、お風呂屋さんとかいう呼び名も絶滅寸前だ。


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        大手町にある家で、私は散歩のときには、わざわざ遠廻りしてこの前を通るようにしている。
        ここは以前は清水町と呼ばれていたところで、地名はそれぞれ歴史を秘めているのに、近頃簡単に
        変えるのは歴史文化の軽視で情けないことだと思う。何時までも遺して欲しい家並みであるが、隣は
        既に取り壊されてく空き地になっている。

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        突き当りにある小さな蔵は、沢良宜の酒造会社の裏手にあるもので、夕陽を享けて壁の白さが際立ち、
        楠の大木に寄り添うように年月を共にしてきたその姿は何時観ても美しいものだ。

by kame0401 | 2012-02-10 16:27 | 街角寸描 | Comments(0)

街の佇まいは心の故郷 kameの独り言(17)

  街の佇まいは 心の故郷  kameの独り言(17) 
 
    ~ 大阪中之島界隈の風景寸描 ・ 1960 ~

段ボール箱から出てきた、私のスケッチブックから今回は大阪の中之島界隈の風景を。
スケッチには1960年と記してある。50年前の大阪は、赤レンガの建物があちこちにあり、
絵心をそそる景色が沢山あったが、今は観ることの叶わない懐かしい風景である。
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左は朝日ビル、右は新朝日ビルで、手前は肥後橋。新朝日ビルの建つ前は此処に
アサヒアリーナというスケートリンクがあり、生れて初めて滑った処だ。

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新朝日ビルの一角にはフェスティバルホールがあり、壁面のデザインが面白い。
尖塔のある建物は大阪市役所、手前の緑青の色が美しいドーム屋根は日本銀行。
この絵には見えないが、市役所の奥には、今も残る赤レンガの中央公会堂がある。
右奥にあるのは、可動堰として作られた水晶橋。今は人が渡ることが出来る。

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赤レンガの尖塔は大阪地方裁判所、手前は大江橋、その右端には大阪市役所が見えている。
黒い煙を川面に漂わせている河舟の一群は、底の平らな団平舟で、運河の泥を掬い上げ浚渫
(しゅんせつ)しているところで、絵になるこの情景はその頃良く見られたものである。

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この時代は、運河を利用して舟から直接荷物を運び入れている風景も珍しくなかった。
しかし、水の都の運河も、年を追うごとに汚れてどす黒く、悪臭を放つようになっていた。


此処に挙げた建物は、朝日新聞ビルを除いて、全て建て替わり今は見ることが出来ない。
赤レンガの名物建物は次々と姿を消し、高層ビルが林立して大阪城も肩身が狭そうに見える。
河の上を高速道路が我が物顔に占領し、頭の真上を跨れた名物橋の哀れな姿には、もはや
浪花八百八橋と称された昔の面影はない。
大阪の戦後は、あの戦火を潜り抜けて残った名建築の数々を、そして昔の街の佇まいを、
惜しげもなく捨て去ったのである。
ヨーロッパの古い街並みが、戦火を受けても元通りに復元され、昔の佇まいを大切に遺して
いるのをみて、羨ましく思うのは私だけではないと思う。 

私達が本当に失ったものは、あの赤レンガの名建築や街の佇まいだけなのだろうか・・・・・・・・

by kame0401 | 2012-02-02 12:08 | kameの独り言 | Comments(0)