希望の光を視たか  カメラは視た(18)

  希望の光を視たか   カメラは視た(18)

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今年も残り僅かになってしまいましたな。
世の中真っ暗闇やけど、あんさんは、ほんのちょびっとでも希望の光を視たことおますか?
わては、それあの被災地で活躍したはる若者に、ほんま明るい希望の光をみせて貰いましたわ。

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「年寄りも満更捨てたもんやおまへんな」 と言われたいもんでんな、ピンボケの光でも、灯し続けて行きまひよか



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by kame0401 | 2011-12-26 09:14 | カメラの眼で | Comments(0)

カンピレ―の滝

   カンピレ―の滝

八重山西表島の西部、浦内川の上流にあるこのカンピレ―という滝の名は、「神が座るところ」という意味だそうだ。その名に相応しく、長さ200メートルに亘り急流が激しく飛沫を立てて滑り落ちる様は神々しくさえある。

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  4000分の1秒・ 普通の人の眼では捉えられない、滝の神が見せる伊吹。  あの広重ならば、その瞬間を浮世絵に描き得たであろうか、・・・ さて、これは上の写真のどの部分だろうか?

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by kame0401 | 2011-12-20 15:41 | カメラの眼で | Comments(0)

不戦の誓い

      不戦の誓い  kameの独り言(15)

     12月8日は、私にとって「不戦の誓い」を新たにする為の大切な日なのである。


      私にとって、12月8日開戦の日の、あの高揚した記憶は、8月15日敗戦の日の驚愕動転した記憶よりも、
      重く深く残っている。あの人を高揚させる空気は、いま思うと恐ろしいものがある。東條やヒットラーに
      躍らされた民衆の高揚は、いまでも身近に起こり得ることを、決して忘れてはならないと私は思っている。
      敗戦を記念するより開戦日を不戦の誓いを新たにする記念日とすべきである。戦没者の死を無駄に
      しないためにも・・・・・・・

      今の学校での歴史教育は、古代史から始まるが大抵時間切れで、現代史まで至らないままに終わって
      しまうのが現状である。本当の歴史教育は、歴史を 学ぶのではなく、「歴史に学ぶ」 ことが出来る教育で
      なければならない。

      そのためには、現代史から始めて順次時代を遡ることが必要で、そうすれば自ずと見えてくるものが
      沢山あるはずで、それこそが歴史に学ぶことではないだろうか。
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      お腹を空かして、一日中食べることばかりを考えていた時代には、学校で弁当泥棒が横行した。
      大便所の中に空の弁当箱が捨てられているのを、毎日のように見ていた記憶は消し難いものがある。
      狭い便所の中で、盗んだ弁当を食べている姿を想像しても、当時は同情こそすれ悪い奴だとは思えない
      異常な時代だった。

      この絵手紙に描いた、頂き物の美味しい紅芽芋を食べながら、平和の有難さ、尊さをしみじみ思う
      ことである。

      不戦の誓いを新たに、そして今なお地球上で、正義の名のもとに殺戮が繰り返されていることを、
      決して忘れてはならない。

by kame0401 | 2011-12-08 12:21 | kameの独り言 | Comments(0)

八重山の旅

    想いやる八重の島々  旅のつれづれに(13)

つい先ごろ久方振りに八重山西表島を訪ねる機会があった。私は、この「八重山」と言う言葉の響きに、何故かとても惹かれる。島崎藤村の「椰子の実」のなかに「思いやる八重の潮々・・・・」という一節があるが、私にとって、ここ八重山は「想いやる八重の島々」なのである。
これまで何度となく訪れているが、最初は1961(昭36年)の夏だった。勿論まだ沖縄返還が為されていなくて、パスポートが必要、通貨はドルだった頃である。それから毎年のように石垣島を拠点に離島めぐりをして、夏休みを殆ど使い果たしていた。

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今回の旅でも、サンゴ礁のエメラルドグリーンの海は、昔と変わぬ美しさで私を迎えてくれた。西表島へ渡る船は当時と違い、高速船で、波の高い時化の海を飛ぶように走った。
サンゴ礁の海に漂うように見える竹富の島影を眺めて懐かしく、揺れる船上で慌てて画帳を取り出し、波のうねりの向こうに見え隠れする島影を捉えんと筆を走らせた殴り描きの一枚である。
海から見る石垣島は、何度か訪ねるうちに、港も大きく立派になり、街にもビルが立ち並んで、その姿を変えていた。最初に訪れた頃は船が港に接岸できず、はしけに乗り換えて上陸していた。

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此の写真は裏に、「1961年8月18日/石垣港/西表航路・広志丸」と記してある。小さな木造船で隣に停泊しているのも、どこか離島へ行く船である。与那国行きは流石に鋼鉄船だったが、他は似たり寄ったりの船である。当時は、毎日石垣港へ出かけて停泊している船に、行き先と出港日を直接尋ねて廻るというような有様で、離島めぐりは運任せであった。

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この絵はその年に、西表島に次いで訪れた与那国島で描いたものである。夏休みは台風シーズンで、特に欠航が多く、いつ戻れるか判らないまま、それを覚悟の乗船で、やっと辿りついた与那国島である。白い漆喰で固めた紅い瓦屋根の民家と、島の夏祭り招かれて観た琉球舞踊が蛇味線の音色と共に、忘れられない思い出として今も鮮明に残っている。


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by kame0401 | 2011-12-04 16:46 | 旅のつれづれに | Comments(0)