自画像曼荼羅

   自画像曼荼羅  kameの独り言(14)

これは、先の22歳の自画像から、57年後の最近描いた自画像である。これをじっと観ていると曼荼羅を観ているような不思議な感情が湧いてくるから不思議だ。

へそ曲がりの私は、「四十からは自分の顔に責任を持て」などと言われると、他人にとやかく言われたくないとつい反発してしまう。
この顔に生んでくれた両親のDNAを恨んでみても仕方がないが、使い古したヨレヨレのこの顔も、近頃そう悪くはないと思えるようになった。良くも悪くも、80年の年輪を刻んだ自分の人生そのものの顔なのだから。

d0156718_97636.jpg処で、自画像とは一体何なのだろう。有名な画家もよく自画像を描いているが、観る者を惹きつける何かがある。多くの人が自画像を描こうと試みる動機・衝動は何に由来するのだろうか。それは単なる写生ではないし、人はそこに何を描こうとするだろうか。私のようなド素人が慰みに描く場合でさえ、その時の心理状態は謎に包まれている。
画家を惹きつける自画像、それは描く対象としての究極の課題である人間、その中でも最も客観視しにくい自分自身を描く事は、困難さゆえの尽きない魅力があり、それが画家の飽くなき挑戦を呼ぶのではないだろうか。
それはそうと、自分自身の顔を観た人は、誰もいない。この単純明快なことを、人は忘れているのではないだろうか。自分の顔を鏡や、写真で観て、これが自分の顔だと思い込んでいるだけである。
パスポートや運転免許証に張られた自分の写真に満足している人がいないのは、もう少しマシな顔をしていると思っている証拠である。では本当の自分の顔はどんな顔なのだろうか。
考えてみれば、人の顔は、時々刻々変化していて、パスポートの写真ならずとも、自分に気に入るような瞬間を一枚の静止画像で捉えるのは至難の業であることに先ず気付くべきである。

それからもう一つ、写真よりも鏡に映る自分を自分だと思っている人が多いのではないか。確かに写真と違って動いている自分が写っている、笑えば向こうも笑う。気に入るかどうかは別にしても、これを自分の顔だと認識している人が多いのは確かだろう。
d0156718_1358522.jpgところが、ここには大きな落とし穴がある。鏡に映る自分の顔は、左右が逆になっていることを忘れているのだ。他人が観ているのは、あの写真に映る自分で、左右が逆転した鏡の中の自分は自分だけの自分なのだ。だから写真に写った自分には、どことなく違和感を覚えるのかもしれない。
自分の中の自分は、鏡の中にしかいないから、必定自画像も鏡を観て描くことが多くなる。しかし、鏡の中の自分も、本当の自分を映しているとは思えない。

そうそう、鏡と言えば、地獄には閻魔大王の前に、亡者の悪行全てを写し出すという水晶で作られた「浄玻璃の鏡」と言うのがあるのだそうだ。嘘をついていることがばれると舌を抜かれると言うやつである。
それだ!その浄玻璃の鏡に映し出される自分の姿こそ、自我丸出しの真の自画像のモデルなのだ!。
閻魔大王の許しを得て、その姿を描けばきっと素晴らしい究極の自我像が完成すること間違いなし。

地獄へ行くときに、三途の河の渡し賃の外に、スケッチブックと鉛筆を、忘れずに棺桶に入れてくれるよう、今から頼んでおこう。いや地獄の沙汰も金次第と言うから、「浄玻璃の鏡」の使用料も念のため用意しとくか?

エッ極楽へ行ってしもたらどうするかって?、今までブログだけでも仰山嘘をついて来たから地獄に堕ちることは間違い無し、ご心配ご無用でござる。
極楽は退屈やでと言う絵の好きな友人もいるし、一緒に地獄の絵を描くのも愉しそうやしね イッヒッヒッ・・・011.gif

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by kame0401 | 2011-11-27 13:44 | kameの独り言 | Comments(0)

わが青春の自我像

  わが青春の自我像  kameの独り言(13)

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   1954年(昭29)、22歳の自画像である。大学を出て教師になったばかりの頃である。
  スケッチブックを整理中に、段ボール箱の底から出てきた一枚だが、引っ込み思案の癖
  に強情で、天の邪鬼で突っ張って生きていた時代の貴重な自我像である。

   その頃は、景気も悪く就職難で、やっとありついたのが定時制高校の生物教師の口、
  しかし昼間を自由に使える有難い身分だった。大学出の公務員の初任給が確か9,800円、
  宿直すると380円だったように記憶する。既製の背広が13,000円もしていたし、米穀通帳
  がまだ幅を利かせていて、食堂に外食券を出して飯を食う時代だった。

   同期に就職した同僚の I 君とは、なぜか気が合い,勤め帰りに南の盛り場で、連日の
  ように遅くまで飲んで駄弁り、明日の夕方までタップリある自由時間を満喫していた日々
  だった。
   昭和38年、福井豪雪の正月に、彼の故郷の福井を訪ね永平寺や東尋坊を共にしたこと
  があったが、その年の春に30歳の若さで急逝し、今はその頃の話をすることも叶わない。
  彼の好きだったテネシーワルツを聴くたびに、私とは正反対の文学青年だったニヒルな
  彼の横顔をいまも思い出す。

   当時を思い出させてくれた此の一枚の自我像も、今は紙も焼けて黄色くなり、端の方は
  ボロボロと崩れそうな状態で、主人公の私同様に60年の時の流れを感じずにはいられ
  ない代物である。



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by kame0401 | 2011-11-21 11:32 | kameの独り言 | Comments(0)

【能のある、空間~三輪】

 「 能のある、空間  三輪の巻 」
  
      11月13日 山中能舞台 山中ガショウ師

  大槻能楽堂の舞台の時と趣をかえて、紫の装束に狩衣で舞われました。
  カラ―写真でないのが申し訳ありません。
  能面は「増女」、古面の素晴らしいもので、本舞台で使われたものです。


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by kame0401 | 2011-11-15 19:32 | 能面雑話 | Comments(0)

義父の遺したロシア未来派の絵


私のガラクタ美術館(13)

   義父の遺したロシア未来派の絵 <その2>

そうこうしているうち、平成14年になると東京の町田市立国際版画美術館のT氏から手紙が届いた。
それは当館企画の「極東ロシアのモダニズム1918~1928」と言う美術展にあのイムレイの絵を
借りたいとの申し入れであった。先の西宮の大谷記念美術館のN氏(現在は国立国際美術館所属)
から聴いての話とのことで、勿論喜んで提供する旨返事をした。

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  「極東ロシアのモダニズム1918~1928」の図録に載ったイムレイの絵

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    大正9年9月6日の東京日日新聞に載ったイムレイの記事

町田市立国際版画美術館のT氏から頂いた資料などで、イムレイのことが少しづつ判ってきた。
この新聞記事もその一つであるが、イムレイの写真まで手に入るとは想いもしなかっただけに
嬉しかった。
「イムレイの作家略歴」  イムレイ、フェレンツ Imrey,Ferenc 1885(86) ベーチュー??
ハンガリーの美術学校を卒業し、ローマやパリで遊学した後、ブダペスト国立高等工芸学校の
教授になる。
第一次世界大戦にハンガリーの将校として出征し、1914年のガリツィアの戦いで負傷し
ロシア軍の捕虜となりシベリアに幽閉される。釈放されて、ウラジオストックで未来派の
ブルリュウクらと交流をもち、その後日本・アメリカを経て帰国の途中に東京で個展を開く。


それは第一次世界大戦とそれに続くロシア革命(1917)による混乱から逃れて、多くの人が
シベリヤ鉄道で極東へ逃れ、そしてウラジオストックから更に敦賀に上陸し横浜からアメリカ
へ渡ったという激動の時代であった。5年間のシベリヤでの捕虜生活から解放されたイムレイ
も、その渦の中にいた一人だったのだろう。

先の第二次世界大戦のときに、杉原千畝氏の命のビザで救われた6000人のユダヤ人も
シベリヤ鉄道で、そしてやはりウラジオストックから日本を経てアメリカへ逃れたことを考え
ると、このルートの持つ歴史的な意義は大きいものがある。
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義父は故郷富山から来阪し、紳士服テーラーとして心斎橋に店をもち活躍した人である。
大正9年といえば、義父は二十歳になったばかりである。感受性豊かな義父が、激動の時代の
空気を肌で感じとり、「未来派」と言う言葉に共感を覚えたのかもしれない。
義父は若い時から研究心が旺盛で色んな特許を考案し、次々と特許の申請をしていた。
なにしろ、亡くなる91歳の年にも「洋服の立体裁断法」で特許を取得した程の人なのである。

義父が、イムレイの絵について口癖のようにロシア未来派の絵だと自慢していたのは、つねに
未来に向かって前進して止まなかった義父の「未来派人生」の象徴がこのイムレイの絵だった
のかも知れない。

小さな紙に描かれたこの絵は、恐らくシベリヤ幽閉時代に描かれたものだろうが、燃え盛る
革命と戦火の炎の中に苦悩する人々ともとれる構図は、過去との決別と未来への憧憬を象徴
しているのかも知れない。そこには、見る人それぞれに何かを感じさせる力がある。

義父は、大正9年(1920)にイムレイが、アメリカ渡航をまえに東京で開いた個展を観たのかも
知れないし、この絵はその時に購入したのかもしれないが、今は、それを知るすべはない。

この貴重な一枚の絵は、今は亡き義父の思い出と共に我が家にあり、折にふれ飾って愉しんで
いる。 しかし、美術史の上からも貴重なこのイムレイの絵は、ガラクタ美術館に私蔵するよりは
義父の活躍した大阪の地にある国立国際美術館に寄贈した方が良いのではと考えている。 
義父もきっとそれを喜んでくれるのではないかと・・・・・・・



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by kame0401 | 2011-11-09 11:32 | 私のガラクタ美術館 | Comments(0)

義父の遺したロシア未来派の絵

私のガラクタ美術館(12)

  義父の遺したロシア未来派の絵 <その1>


家内の父から、生前譲り受けたこの絵は永い間「謎の絵」であった。
義父によると、この絵は「ロシア未来派の絵」だということであったが、詳しいことを
聞かないまま、義父は平成2年に亡くなってしまい謎のままこの絵は遺された。

それからこの絵のことも忘れかけていた平成8年のある日のことである。
新聞のある記事に眼が釘付けになった。それは西宮の大谷記念美術館で「未来派の父」
露国画伯来朝記
という展覧会が開かれているというものだった。
これだ!と閃いて早速この絵をもって美術館を訪ね、学芸員の方に観てもらったのである。
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    「題名不明」  グァッシュ 紙  サイズ31.8×24.3


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ここで判ったことは、この絵はハンガリーのフランソワ・イムレイという画家のものだと
いうこと。そしてこの展覧会の主題であるロシア未来派の父と自称したブルリュウクが
来日した1920年に同じく来日して東京で個展を開いていることなどである。

学芸員のN氏の話では、イムレイの作品を観たのは初めてで貴重なものだとのこと、
後日、大学の先生と来訪されて、館報にも載せたいとの申し入れがあった。
こうして、イムレイに関する謎の解明は一歩前進したのである。

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                       絵に記されたイムレイのサイン

しかし、義父がこの絵をいつ何処で購めたのか、なぜこの絵を選んだのか、この絵をめぐる
謎はまだまだ闇の中で、解明の物語は次回に続く・・・・・・・・

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by kame0401 | 2011-11-04 09:05 | 私のガラクタ美術館 | Comments(0)