鵺塚と大阪港紋章

           鵺塚と大阪港紋章


         大阪は都島の商店街のほとりに「鵺塚」がある。平家物語に出てくる源三位頼政の鵺退治は京都
         であるが、射殺された鵺は笹のうつぼ舟に乗せられて流され、淀川を下って当時淀川デルタの末
         端の一つだった都島のこの辺りに流れついたものだろう。祟りを恐れた当時の人は「鵺塚」を作り
         霊を慰めたと言う。
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         今年の能面展は「浪速ゆかりの能を探る」と言うことで、あちこちの謡跡を訪ね歩いた。 能曲「鵺」
         ゆかりの「鵺塚」は由緒ありげな楠の大木が茂り、訪れる人もなく静かな佇まいを保っていた。写真を
         撮っている時ふと「大阪港の紋章」というパネルがあるのに気が付いた。正面右の黄色いパネルが
         それだ。

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          1980年にフランスのル・アーブル港と姉妹港提携にあたり、この紋章が作成されたと言う。
          大阪港の紋章のシンボルサポーターに鵺が選ばれたのは、上記の鵺塚が当時の河内湾・河内湖
          のほとりにあり、大阪湾にゆかりのある動物だったからであり、これは面白く良い選択だったのでは
          ないだろうか。
          この紋章の作成には紋章学に詳しい森護氏(1923~2000)が参画しているとのことで、鵺は頭が
          猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇と言う妖怪であるが紋章では胴が獅子に変えられている。また紋章
          中央上部には以前の大阪市庁舎の「みおつくしの鐘」で知られる尖塔が描かれているのも懐かしい。

by kame0401 | 2014-10-21 20:02 | 能面雑話 | Comments(2)

Commented at 2014-10-28 22:16 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kame0401 at 2014-10-31 21:03
有難うございました。能面の奥深さは外国人にも感じてもらえることを知り、意を強くしました。また今回は通りすがりの若い人が多く立ち寄り興味を持ってくれたのが収穫の一つでした。