2013年 04月 03日
背割堤の桜満開
背割堤の桜満開
四月一日は私の誕生日、幸い天気も上々とて、花見弁当持参で家内と淀川背割堤の桜見物にでかけた。
木津川と宇治川を分ける背割堤の桜のトンネルは1.4キロ・250本の桜の大木はそれは見事なものだった。
背割の堤の桜を眼前にすると、左奥の対岸には新緑の天王山が、振り返れば手前の対岸には男山が
桜混じりの新緑に彩られている。座り込んだ草の筵も花筵で贅沢な花見の宴となった。 しかし春の盛りに、
花を肴に酔うことが出来るのは、これから先、何回あるのだろう。ふとそんなことを考え、中国の詩人が
詠んだ有名な漢詩の一節 「能向花前幾囘醉」(よく花前に向って幾回か酔わん)に想いを巡らせている
自分がそこにいた。
背割堤の歴史を紹介しよう。木津川・宇治川・桂川の三川が合流するためこの辺りは昔から氾濫洪水に
悩まされてきたところである。 古くは淀城の辺りで木津川と宇治川が合流しており、その上には巨椋池と
言う巨大な遊水地があり洪水の時は氾濫原となったところである。1800年代の後半に明治の大洪水があり、
1910年に今の三川合流地点に付け替えられたという。しかし1917年に大正大洪水があり三川の合流を
ずらすため背割堤が設けられたのだということだ。巨椋池も干拓されて農地になりいまは面影もない。
背割堤には1970年までは松が植えられていたがマツクイ虫の被害を受けてソメイヨシノが植えられ、
1988年から一般開放され背割桜として喧伝されるようになった。初代の名残か所々に残るエノキの巨木
にも負けぬくらいに桜も大木になり、大きな枝が堤の下まで垂れて見事な風情である。
四月一日は私の誕生日、幸い天気も上々とて、花見弁当持参で家内と淀川背割堤の桜見物にでかけた。
木津川と宇治川を分ける背割堤の桜のトンネルは1.4キロ・250本の桜の大木はそれは見事なものだった。
背割の堤の桜を眼前にすると、左奥の対岸には新緑の天王山が、振り返れば手前の対岸には男山が
桜混じりの新緑に彩られている。座り込んだ草の筵も花筵で贅沢な花見の宴となった。 しかし春の盛りに、
花を肴に酔うことが出来るのは、これから先、何回あるのだろう。ふとそんなことを考え、中国の詩人が
詠んだ有名な漢詩の一節 「能向花前幾囘醉」(よく花前に向って幾回か酔わん)に想いを巡らせている
自分がそこにいた。
背割堤の歴史を紹介しよう。木津川・宇治川・桂川の三川が合流するためこの辺りは昔から氾濫洪水に
悩まされてきたところである。 古くは淀城の辺りで木津川と宇治川が合流しており、その上には巨椋池と
言う巨大な遊水地があり洪水の時は氾濫原となったところである。1800年代の後半に明治の大洪水があり、
1910年に今の三川合流地点に付け替えられたという。しかし1917年に大正大洪水があり三川の合流を
ずらすため背割堤が設けられたのだということだ。巨椋池も干拓されて農地になりいまは面影もない。
背割堤には1970年までは松が植えられていたがマツクイ虫の被害を受けてソメイヨシノが植えられ、
1988年から一般開放され背割桜として喧伝されるようになった。初代の名残か所々に残るエノキの巨木
にも負けぬくらいに桜も大木になり、大きな枝が堤の下まで垂れて見事な風情である。
by kame0401
| 2013-04-03 07:33
| 旅のつれづれに
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