国破れて山河あり


国破れて山河あり

敗戦記念日に思う

          土井晩翠の「荒城の月」は杜甫の「国破れて山河あり・・・・」が下敷きになっている のではと思はれる。
         会津若松城には晩翠の「荒城の月」の歌碑が建っているが、敗戦後歌碑を訪れた晩翠が「国破れて・・」
         を実感・述懐したと歌碑の前に碑文が添えられていた。
           今でもそれが残っているのかどうかは知らないが、若かりし私が詩人の感性に 感動したことで 今も
         鮮明な記憶の中に残っている。今ではかって訪れた中国敦煌の砂漠の中に残る陽関の土塁の風景が
         重なって脳裏に浮かぶのであるが、荒城に何故か胸を打つものがあるのは古来人間が繰り返して きた
         夢の址が持つ儚さ故か、滅びの美学なのだろうか。
          しかし先の戦で破壊された惨状を目の当たりにした私は美学などと言うだけでは済まない。私は
        「平和とは戦争をしないことだ」と思っている。正義の為の戦争などはないし、戦争に正義など存在
        しないからだ。私にとっては敗戦記念日の8月15日は焼尽され廃墟同然の国土に空襲警報のサイレンが
        鳴らなくなり防空壕が不要になった記念日なのである。戦争反対を訴える人は多いが、さまざまな
        立場の人がいるので残念ながら統一は難しいものがある。誰もが賛成する平和の為に声を挙げよう。

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        敦煌・陽関土塁の向こうは果てしないゴビの砂漠が広がり、砂漠の砂中には往時の槍や鉾の破片が             
        埋まっているのではないかと思わせる。

# by kame0401 | 2017-08-11 20:01 | Comments(0)